2024年8月27日、日本最大の指定暴力団である山口組が分裂してから丸10年が経過しました。この対立は、名古屋の弘道会出身者を重用する六代目司忍組長への不満を背景に、旧主流派である山健組をはじめとする関西系団体が離脱し、「神戸山口組」を結成したことから勃発。以来、「六代目」と「神戸」の間で銃撃事件や乱闘騒ぎが頻発し、双方合わせて10人以上の幹部や構成員が命を落としたと見られています。しかし、この長きにわたる抗争が今年4月、ある一方的な宣言によって終結を告げられ、神戸山口組の末端組員の間には拭い去れない屈辱と憤りが渦巻いています。
六代目山口組の勝利宣言に不満を募らせる神戸山口組の組員
山口組分裂の背景と10年の軌跡
山口組の分裂は、組織内の権力構造に対する根深い不満から生まれました。六代目体制下で弘道会の影響力が強まる中、関西を拠点とする山健組などがこれに反発し、新たな組織「神戸山口組」を立ち上げたのです。この分裂は、日本の裏社会に大きな波紋を広げ、両組織間の激しい抗争へと発展しました。10年間にわたり繰り返された報復合戦は、多くの犠牲者を生み出し、社会に多大な不安と混乱をもたらしました。
暴力団からの離脱を促す啓発ポスター
六代目山口組による「抗争終結宣言」の衝撃
ここ数年、神戸山口組は急速に勢力を失っていました。特に、中田浩司組長が率いる山健組が六代目側に帰参したことを皮切りに、多くの有力団体が神戸山口組から離脱。これにより、六代目との勢力差は決定的となり、大規模な組織的衝突は沈静化していました。そんな中、今年4月、六代目山口組は兵庫県警に対し、抗争の終結を宣言する「宣誓書」を提出したと報じられました。
この宣誓書の概要は、次のようなものでした。
「この度は全国の任侠団体の申し出により、山口組は処分者の井上、入江、池田、岡本、松下との抗争を終結することにしました。(中略)一般の市民にはご迷惑をおかけしました」
この内容は、神戸山口組の井上邦雄組長をはじめとする幹部らを「処分者」と名指しし、組織対組織の対立ではなく、一部の「処分者」との抗争であったかのように印象付けるものでした。
神戸山口組「残兵」の屈辱と憤り:出口なき現状
大手紙社会部記者は、この宣誓書が神戸山口組側の「残兵」を刺激していると指摘します。宣誓書は六代目側による一方的な「勝利宣言」に過ぎず、神戸側からすれば「反撃の力が残っていないから、抗争は終わりました」と突きつけられたようなもので、これを「侮辱」として捉える組員は少なくありません。現在の神戸山口組に六代目と事を構える力は残っておらず、組織的な抗争が再燃する可能性は低いものの、行き場を失った構成員による捨て鉢的な襲撃事件が起きる可能性は拭えません。
4年前に神戸山口組の三次団体を抜けた60代の元組員の男性は、抗争終結を突きつけられた「残兵」の心境について次のように明かします。「宣誓書には抗争相手であるはずの神戸山口組や、構成団体名は一切出てこない。一方で、井上邦雄組長はじめ神戸の幹部を名指しすることで、組織対組織の抗争ではなく、元組員らによる『謀反』だったような印象を与えるものになっている。神戸の組員からすれば、これ自体も屈辱的だが、それに対して一言も反論しない自分の親分筋にも腹が立っているはずだ。実際、宣誓書への反論として、自身の組に『カチコミ』(襲撃)の必要性を直訴する血気盛んな組員もいたと聞いている。そもそも分裂の原因は上層部の権力闘争で、末端組員にとっては『大義』はなかった。組に命を預けるのが組員だから、親分の権力闘争に巻き込まれるのは仕方ないが、あまりにも呆気ない幕切れに、やり場のない思いを抱えている神戸の組員も少なくない」。
終わりに
六代目山口組による「抗争終結宣言」は、10年におよぶ抗争に一応の区切りをつけました。しかし、その宣言が一方的な「勝利宣言」であったがゆえに、神戸山口組の末端組員たちは深い屈辱と憤りを抱え、先行き不透明な「出口のない」状況に置かれています。権力闘争に翻弄され、結果的に大義を見出せなかった末端組員たちの行き場のない感情は、日本の裏社会における新たな火種となる可能性を秘めており、今後の動向が注目されます。
参考文献:
- Yahoo!ニュース: 六代目山口組が「抗争終結宣言」! しかし「神戸」の“残兵”の心中は複雑怪奇(週プレNEWS)
https://news.yahoo.co.jp/articles/126138024087956383e01bdf152c49ad70a5533a