2025年11月27日、日本映画界にその名を刻んだ女優、中島ゆたかさんが73歳で逝去されました。週刊新潮の超長期連載コラム「墓碑銘」でも取り上げられた彼女の生涯は、特に1970年代のヒット映画シリーズ「トラック野郎」で初代マドンナを務めたことで広く記憶されています。悲しさ、陰り、寂しさを内包した独特の美しさは、多くの観客を魅了し、その後のキャリアにも大きな影響を与えました。本稿では、中島ゆたかさんの功績と、彼女が日本社会に残した足跡を振り返ります。
「トラック野郎」初代マドンナとしての輝き
菅原文太が演じる破天荒な星桃次郎と、愛川欽也扮する松下金造が派手なデコトラを駆る映画「トラック野郎」シリーズは、1975年から79年にかけて全10作品が製作され、大ヒットを記録しました。このシリーズの記念すべき第1作「トラック野郎 御意見無用」で、初代マドンナとしてウェイトレス役を演じたのが、本名・上野ゆたかさんこと中島ゆたかさんです。
当時の東映宣伝部長であった福永邦昭さんは、同シリーズの企画が他の作品の穴埋めとしてスタートした意欲作であったと語っています。「男はつらいよ」の寅次郎に対抗する桃次郎、そしてマドンナ役の設定も意識されていたといいます。低予算かつ短期間での製作ながら、大衆娯楽映画としての要素が凝縮されていました。福永さんは、中島さんが東映の専属女優として確実な存在であり、その美人でありながらも「悲しさ、陰り、寂しさ」を兼ね備えた雰囲気が、照れ屋な菅原文太さんの男気を自然に引き出し、予想を超えるヒットにつながったと評価しています。全国哥麿(うたまろ)会の会長、田島順市さんも、「中島さんが助手席に乗る姿は私たちから見てもぴったりだった」と当時を振り返り、この映画がトラック業界で働く人々の誇りにつながったことに感謝の意を表しています。その後、マドンナ役はあべ静江さん、島田陽子さん、由美かおるさん、片平なぎささん、夏目雅子さんといった錚々たる顔ぶれが務めました。
中島ゆたかさんの上品で美しい姿
モデルから女優へ:そのキャリアと人柄
中島ゆたかさんは1952年、茨城県水戸市に生まれました。姉が勝手に応募したミス・パシフィックで見事日本代表となり、1971年には世界大会で2位に輝くという華々しい経歴でモデル活動を開始。1973年に東映へ入社しました。福永さんは、中島さんを「洋風の顔立ちで(168センチと)背も高く、上品で育ちの良さが伝わってきた」と評しています。
千葉真一さん主演のアクション映画「激突!殺人拳」(1974年)での石油王の娘役など、相次いでアクション作品に出演し、「トラック野郎」第1作で人気を急上昇させました。福永さんによると、中島さんは「台本を読んで、この作品は嫌などと言わない」「来た仕事を受け、素直で毒がない様子はずっと変わらなかった」と語っており、映画で主役を張り続ける女優というよりは、どんな役でも真摯に取り組む職人気質な女優だったことが伺えます。映画の脇役で活躍する一方、テレビの2時間ドラマでは重宝される存在となり、殺人事件に絡む悪女や、長い髪のどこか陰のある役柄を多く演じました。
私生活と公のイメージ
中島さんは、クイズ番組への出演がきっかけで、1981年にフジテレビ勤務の上野澄明さんと結婚しました。夫の上野さんは当時の「週刊新潮」の取材に対し、「ハデな商売のわりには、足が地についていて、すごく常識的な考え方をする人です」と新婦を評しており、華やかな芸能界に身を置きながらも堅実な人柄であったことがうかがえます。夫婦は1女を授かりました。
元芸能レポーターの藤田恵子さんは、中島さんについて「芸能界を騒がせることはなく、作品中の肌の露出が話題になるぐらいでした」とコメントしており、私生活でのスキャンダルとは無縁で、ひたすら女優業に打ち込んだ人生だったことが分かります。
中島ゆたかさんは、初代マドンナとして日本映画史にその名を刻み、その後のキャリアを通して多岐にわたる役柄を演じ続けました。彼女の遺した作品は、今もなお多くの人々に愛され、語り継がれていくことでしょう。





