前田吟、苦難乗り越え「男はつらいよ」へ:壮絶な生い立ちと俳優の道

日本映画界を代表する名優、前田吟さん(81)の半生は、まさに波乱万丈という言葉がふさわしいものです。国民的映画シリーズ「男はつらいよ」で寅さんの妹・さくらの夫、博役を演じ、その温厚な人柄で多くのファンに愛されてきましたが、彼の幼少期は劇中の寅さんにも匹敵するほどの過酷なものでした。コラムニスト峯田淳さんが日刊ゲンダイで連載したインタビューシリーズにより、これまであまり語られてこなかった前田さんの壮絶な生い立ちが明らかになりました。

「男はつらいよ」と前田吟の不朽の絆

「男はつらいよ」の主演、渥美清さんが1996年に他界してから来年で30年を迎えます。この間、多くの共演者たちが世を去る中、全50作にわたり出演し、今も第一線で活躍しているのは、さくら役の倍賞千恵子さんと、その夫・博役の前田吟さんの二人だけです。峯田淳さんは、この不朽のシリーズと前田さんの関わりに着目し、全72回にわたる聞き語り連載「前田吟『男はつらいよ』を語る」を実現させました。

この取材は前田さんのご自宅や寅さんの舞台となった葛飾区柴又などで計15回行われ、録音時間は22時間にも及びました。峯田氏が改めてシリーズ全50作を3周鑑賞した結果、「何度観ても面白い」という結論に至ったことは、この作品群の普遍的な魅力を物語っています。しかし、インタビューの初回で明らかになった前田さんの生い立ちは、想像を絶するものでした。

前田吟さんと妻・幸子さんの笑顔の写真前田吟さんと妻・幸子さんの笑顔の写真

想像を絶する幼少期:複雑な出自と流転の生活

1944年、山口・防府で新聞記者だった実父と母親の間に非嫡出子として生まれた前田吟さん。本人が「なぜ世間さまに顔向けできないような産み落とし方をしたのか」と語るほど、その出生は複雑でした。戸籍を作るため戦中の混乱期に福岡・小倉の実業家の戸籍に入り、その3カ月後には防府の前田家へ里子に出されます。

しかし、その生活も長くは続きませんでした。4歳で養母を亡くし、中1で養父も他界。身寄りをなくした前田さんは、養父の妹の家に身を寄せますが、その妹が養父の残した貯金を競輪ですべて使い果たしてしまいます。その後は、その妹の娘が彼を拾ってくれましたが、電気も水道も通わない防府の山奥の家での生活でした。そんな厳しい環境の中、なぜか成績は良く、防府高校に進学します。

高校時代に初めて実の両親の存在を知り、郵便局長と結婚していた実母と再会。これで平穏な高校生活を送れるかと思いきや、そこには夫の先妻の子や父親違いの妹がいる家庭でした。結局、前田さんは赤子の頃に面倒を見てもらった実母の姉の家に身を寄せます。「荷物一つで。まるで寅さんみたいに」と語ったその姿は、まさに放浪の旅を続ける寅さんの人生そのものでした。

苦難の果てに掴んだ俳優の道

しかし、その親戚の家にも居づらくなり、わずか4カ月で高校を中退。実母の伝手を頼って大阪へ出て丁稚奉公をすることになります。その後も紆余曲折を経て、最終的には演劇界のエリート集団である俳優座の養成所に見事合格。この奇跡のような道のりを経て、まさか「男はつらいよ」シリーズに出演することになるとは、誰が想像できたでしょうか。前田吟さんの人生は、まさに苦難を乗り越え、自らの運命を切り開いてきた証なのです。

結論

前田吟さんの壮絶な生い立ちと、それに続く俳優としての成功は、彼の類まれなる精神力と才能の証です。非嫡出子として生まれ、幼い頃から幾度となく困難に見舞われながらも、彼は決して諦めず、その経験が後の深みのある演技に繋がったと言えるでしょう。「男はつらいよ」の博役として日本中の家庭に親しまれてきた前田吟さんの背景には、まさに「寅さん」のような、そしてそれ以上に過酷な人生ドラマがあったのです。彼の人生は、私たちに希望と感動を与え続けています。