新型コロナウイルスによる肺炎が拡大する中国湖北省武漢市から邦人を帰国させるための政府チャーター機の派遣の背景には、安倍晋三首相の決断があった。感染が拡大するか、収束に向かうか、予断を許さない状況に首相は危機感を強め、政権の“看板”とする危機管理を徹底させた。
「帰国希望者が多い。帰国したい人は連れ戻そう」
1月最後の日曜日となった26日。夕方に急遽(きゅうきょ)、公邸に入り、官邸や関係省庁の幹部らの報告を受けた首相はこう指示した。その直後には、武漢市に滞在する邦人の希望者全員をチャーター機などで帰国させる方針を記者団に明らかにした。
湖北省を担当する在中国日本国大使館(北京)が省内に在留邦人に向けて緊急の領事メールを送信し、帰国希望者調査を始めたのは26日午後。外務省幹部は24日午前の段階で、在留邦人の帰国支援は「今のところ考えていない」と述べており、チャーター機派遣はその後、一気に浮上した。
関係者によると、首相官邸は、経産省などを通じ、先週半ばから湖北省に進出している日本企業から従業員の帰国希望に関する情報を収集。加えて25日以降も、中国で感染者や死者が増加したことが首相の判断につながったとみられる。
政府は平成14年のインド・パキスタン情勢の緊迫化など、海外の政情不安に際し、チャーター機を派遣した例がある。ただ、外務省幹部によれば「感染症では初めて」という。
今回チャーター機を運航する全日本空輸は、成田-武漢間の定期便があり、「武漢の空港のオペレーションをよくわかっている」(政府関係者)上、200人以上を移送できるというメリットがあった。
政府は政府専用機派遣の準備も進めたが、専用機は武漢に降り立ったことがなく、移送人数も大幅に少ない。政府高官によると、実際、中国政府は27日夕までに専用機の武漢空港の利用を許可しなかった。航空自衛隊が運用する専用機を中国が「軍用機とみなしている」(防衛省関係者)ことが要因とみられる。
ネックとなったのは、武漢を中心とした湖北省内の邦人の空港までの移送手段だった。武漢市内では23日以降、地下鉄など公共交通の運航が停止され、事実上の「封鎖」状態になった。邦人移送のためのバスを動かすにも、当局の許可が必要で、外務省は北京の日本大使館員を現地に派遣し、「1つ1つ許可をとった」(政府関係者)。
政府は当初、28日午前にチャーター機2機を武漢に派遣し、同日中に羽田空港に帰国すると自民党に説明していた。見通しが狂ったのは、同じくチャーター機を派遣する米国、韓国など他国との調整や、27日に現地入りした中国の李克強首相をめぐる警備が影響したとの見方がある。
(原川貴郎)