YOASOBI「数曲限り」のつもりが結成から3年半…Ayase「一生やりたい」ikura「最強に」

YOASOBI「数曲限り」のつもりが結成から3年半…Ayase「一生やりたい」ikura「最強に」

[ad_1] スタジオでリラックスした表情のAyase(左)とikura(カメラ・堺 恒志)  音楽ユニット「YOASOBI」の最新曲「アイドル」が全世界でバズっている。世界で最も聴かれているアップルミュージックの楽曲紹介プレイリスト「トップ100:グローバル」で2位を記録。10日には、島本理生、辻村深月、宮部みゆき、森絵都各氏の直木賞作家4人が書き下ろした小説を音楽にするプロジェクトから生まれた4曲を収録した「はじめての―EP」をリリースした。ヒット曲を連発するAyase(29)とikura(22)が令和の寵児(ちょうじ)になるまでの道のりに迫った。(田中 雄己) 【写真】「YOASOBI」、紅白リハでの仲良し2ショット  国内チャート85冠以上。「トップ100:グローバル」で2位。「アイドル」の途方もない数字が並ぶが、2人は自然体を崩さない。  ikura(以下、i)「これどう? ダサいかな」  撮影中に両手を広げたり走るマネをしたり次々とポーズを提案する相棒に、Ayase(以下、A)は「ダサいけど行け、行け」と笑顔で後押しした。  19年10月の結成から3年半。すい星のように現れ、「令和の寵児」になった。今でこそ環境に適応したが、駆け上がるあまりの速度に苦しんだ日々もあった。  4年前。2人は都内のスタジオで初対面した。  A「あまりに少女で。ささいなボケがセクハラになりかねませんから(笑い)」  慎重なAyaseに、ikuraが抱いた印象は「怖いかも」。「変な感じにならないようにしてくれていましたけど『あまりしゃべらない?』『怖い人かな?』と思ったり(笑い)」  「小説を音楽にする」プロジェクトが開始し、Ayaseがikuraの歌唱動画に“一目ぼれ”したことが始まりだった。  A「自分が作りたい楽曲を、歌うイメージが一番湧いた」  当初は、長く続けるつもりはなかった。  A「先のことは決まっていなくて。やるとしても数曲限りだと思っていました」  そんな思いとは裏腹に、デビュー曲「夜に駆ける」は、20年の「Billboard Japan Hot 100」の年間首位を獲得。その後も「群青」「怪物」などリリースする楽曲全てがヒットした。だが、Ayaseは、制作の度に「スランプ」に陥った。  A「自分が持っているモノを一度全てはき出すので、次は『どうやって曲を作っていたかな』となってしまう。本離れの風潮がありますが、僕もそう。実は、読み始める時は今でも腰が重かったりする。読み始めると、気持ち良いですけどね」  コロナ下の配信デビュー。ファンと対面する機会がない中、ikuraも「スランプ」に直面する。21年2、7月に配信ライブを開催。無観客だったが、画面の向こう側から無数の視線を感じた。歌詞を間違え、歩く動線を誤った。  i「生のライブは準備したものが白紙になると実感して。当時はボーカルとして全てを背負わなければという気持ちも強くて、重圧を感じて。2回目のライブの後には、もう歌えない、ライブができないと思った」  それでも踏ん張った。歌への思い、YOASOBIへの思い。物心ついた頃から音楽への道を志し、Ayaseは、バンド活動を9年間続けた。ikuraは、学生時代から路上ライブを重ねた。体調不良で入院中のAyaseが配信した楽曲が、レコード会社の目に留まった。ikuraがSNSに投稿した動画が、Ayaseの目に留まった。奇跡の連続で、YOASOBIは生まれた。 …