<100年の警告>「集落は山津波に消えた」根府川の悲劇 語らぬ父、伝える長男

<100年の警告>「集落は山津波に消えた」根府川の悲劇 語らぬ父、伝える長男

100年前のあの日、始業式の後で 神奈川県片浦村(現・小田原市)の根府川集落に住む内田一正さん(当時10歳)は、ある日の始業式の後、いつもより早く帰宅し、手作りの幻灯で遊んでいました。 関東大震災による山津波 突然、大きな地響きとともに地面が激しく揺れました。外に出ると、集落のおじいさんが叫びました。 「寒根山(かんのねやま)が来た!逃げろ!」 一正さんは必死に桑畑まで走りました。振り返ると、自宅や集落が赤土に埋まっていました。関東大震災の激しい揺れによって、津波のような山津波が起きたのです。 悲劇の結末 集落の近くにある寒根山ではなく、白糸川の上流にある大洞(おおぼら)という崖が崩れたことが後でわかりました。山津波は白糸川を下り、集落のほとんどを埋め、逃げ遅れた289人が亡くなりました。 根府川駅では、地すべりによって停車していた列車が押し流され、乗客や乗員の131人が犠牲になりました。 震災の痕跡 現在、大洞が望める場所に来ました。険しい雑木林を約20分歩くと、崩れた土砂でできた小高い丘に立ちました。ここは箱根火山の溶岩でできた地形で、板状に割れやすいと言われています。 周りの植生から、震災以前から何度も崩落があったことが分かります。地区で宿泊施設を経営している一正さんの長男、昭光さん(81)は、震災の当時の根府川集落も案内してくれました。 集落の再建 昭光さんによると、今の根府川集落は、当時の土砂で埋もれた集落の上に新しく建て直されたものです。集落の南には小さな釈迦堂があります。洪水で移転したとき、釈迦像は岩盤に刻まれていたため、移動できずに土砂に埋まってしまいました。しかし、住民が掘り起こしたところ、指1本損傷もなく見つかり、同じ場所に釈迦堂が再建されました。 一正さんは、震災の話をほとんどしなかったといいます。ただ家には被災地の写真が飾られていました。 要因は自然現象だけではない? 関東大震災では土砂災害だけで700~800人もの犠牲者が出ました。その中でも最も被害が大きかったのが根府川でした。なぜこんなに大きな被害が出たのでしょうか? 一つは、震源地に近かったことです。関東大震災の本震が起きた場所に位置し、揺れは震度7程度に達したと推測されています。 さらに、根府川集落は箱根火山の山麓に位置しており、崩れやすい地質であったため、急峻な白糸川の河口に集落があったことなども考えられます。 ただし、京都大学の釜井俊孝名誉教授(応用地質学)によると、根府川駅周辺の土砂災害には自然現象以外の要素も関与しているとのことです。 …