史上初の儀式「立皇嗣の礼」とは 29年前の「立太子の礼」を振り返る


史上初の儀式「立皇嗣の礼」とは 29年前の「立太子の礼」を振り返る

秋篠宮さまが次の皇位を継ぐ者であるということを天皇陛下が宣言される「立皇嗣の礼」。

【画像】1991年に行われた「立太子の礼」を画像で振り返る

当初4月19日に行われる予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で延期され、10月8日に開かれた「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」で、11月8日に行われることが決まりました。

この行事は、委員会の名前にある通り、ご退位とご即位に関する行事の一環ということです。では一体、どのような行事となるのでしょうか?

今回この行事は大きく言うと

(1) 立皇嗣の礼 立皇嗣宣明の儀

(2) 壺切御剣(つぼきりぎょけん)の親授

(3) 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀

(4) 朝見の儀

(5) 伊勢神宮、神武天皇陵、昭和天皇陵などへのご参拝

この五つの儀式で、そのうち(1)立皇嗣宣明の儀と(4)朝見の儀は国の行事として、そのほかの儀式は皇室の行事として行われます。

こうした今回の儀式は、平成3(1991)年2月23日、当時皇太子でいらした天皇陛下31歳の誕生日に行われた「立太子の礼」に倣っています。「立太子の礼」とは皇太子であることを宣言する行事です。

秋篠宮さまは皇太子ではなく、皇位継承第一位を示す「皇嗣」でおられるため、今回は「立皇嗣の礼」で皇嗣であることを宣言する行事となるのです。明治以降では、秩父宮さまが皇嗣となられたことはあります。

大正天皇が亡くなり、昭和8年に上皇さまがお生まれになるまでの約7年間です。

しかしこの時、「立皇嗣の礼」は行われておらず、そういう点からは、今回の「立皇嗣の礼」は歴史的にも初めておこなわれる儀式といってもいいものなのです。

7世紀には皇太子制が取られ、天皇が勅命で皇太子を決める「冊立」は行われていたようですが、一時、中断し江戸時代になって再興されたと言います。再興に先立って「儲君(ちょくん)」、次期皇位継承第一位を定めたうえで、皇太子の冊立が行われました。

こうした制度は、明治22年まで続きます。

明治22年に大日本帝国憲法が制定され、皇室典範により皇位の継承順番が定められ「立太子の礼」が規定されました。つまり、これまで「立皇嗣の礼」と呼ばれる儀式が行われることはなかったのです。具体的にどのような儀式が行われるか、平成3年の「立太子の礼」を例に見ていきたいと思います。



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