過熱報道で「市民を殺した」悔やむ元記者 雲仙・普賢岳噴火から30年

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過熱報道で「市民を殺した」悔やむ元記者 雲仙・普賢岳噴火から30年

 雲仙・普賢岳(長崎県)が噴火した1990年11月17日から30年。平成最初の大災害に取材は過熱し、91年6月3日の大火砕流では、避難勧告を無視して撮影を続けた報道陣に巻き込まれる形で、地元の消防団員や警察官らが犠牲になった。「他社より迫力ある絵(映像)を撮りたい、その功名心が何の落ち度もない市民まで殺してしまった。悔やんでも悔やみきれない」。駆け出しの記者兼アナウンサーとして現地で取材にあたった、長崎文化放送(NCC)の中尾仁(なかお・じん)さん(52)が当時を振り返った。(共同通信=石川陽一)

 ▽避難勧告は「大げさぐらいにしか」

 中尾さんはNCCが開局した90年4月に入社し、噴火時はまだ新人だった。同僚や応援で来た系列局の記者らと交代で現場の長崎県島原市に入った。噴煙を上げる普賢岳を前に「歴史的な一大事に立ち会っている」と胸が高鳴ったという。災害取材は初めての経験で「日本中の人に何が起きているのかを伝えなければ」と使命感に燃えた。

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