最愛の妻、がんで亡くし…大きく変わった人生観 「人の苦しみ食う男」に


最愛の妻、がんで亡くし…大きく変わった人生観 「人の苦しみ食う男」に

 10月31日夜、中嶋ジンロウ(53)はステージに立っていた。福岡市中央区長浜のライブハウス「CB」。ボーカルを務めるロックバンド「コーガンズ」のライブだった。

【写真】1988年、妻の美都さんと出会ったころ

 結成20年という節目の年は、新型コロナウイルス禍に見舞われた。自粛を越えてようやく開けたライブの終盤、満を持して新曲「KU(くう)」を歌った。

 〈空 俺が喰うぜ あなたの苦しみを しんどかったな もう大丈夫 俺が苦しみを平らげる 俺が苦しみを喰う男〉

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 ロックに染まったのは、中学時代に出会ったRCサクセションがきっかけだった。それまで聴いていた荒井由実や中島みゆき、甲斐バンド、浜田省吾の「自分には実感のない大人のラブソング」とは違って、「何でも歌っていいんだ」と思わせる自由さに魅了された。

 「頭が悪くなるけん、ロックなんか聴くな」(父親)と叱られるような時代。思春期らしい反発心もあって、高校でコピーバンドを組み、校内イベントでデビューした。憧れの忌野清志郎と同じように、ボーカルとしてステージに立った。

 「大盛り上がりで、明日からはモテるやろうなあとワクワクした」

 結果、翌日から周りに集まってきたのは不良の先輩たちばかりだったが。

 故郷の熊本県人吉市から、高校卒業とともに福岡に出て郵便局員になった。当時は公務員だったので「バンド活動の時間が確保できる」と思ったからだ。実態は宿直勤務もあり、ノルマも厳しかったが、仲間を募って活動を続けた。

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 20歳のある日、アパートの隣部屋から大好きなバンド「ストリート・スライダーズ」の歌が聞こえてきた。ベランダから住民に声を掛けると「友達から借りたカセットテープ」だという。

 数日後、紹介されたその友達が一つ年上の美都(みと)さん。運命の人だった。音楽の好みが一緒で「部屋で聴きますか」と誘ったのが付き合いの始まり。24歳で結婚した。



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