秋田県警本部
交配のために預けた飼い犬が虐待を受けて死んだとして、秋田県由利本荘市の飼い主夫婦が昨年8月、動物愛護法違反容疑で、千葉県松戸市のブリーダーの女性を秋田県警に告訴したことが分かった。悪質な虐待の有無をどう裏付けるかが捜査の焦点だが、国内では「法獣医学」が未発達で、客観的な立証は一筋縄ではいかない。捜査当局の判断が注目される。
【写真】生前のヴァロン
■やせ細り、前歯2本折れ
告訴状などによると、由利本荘市の夫婦は2016年6月、松戸市のブリーダーの女性からロシア原産の大型犬ボルゾイの雄を購入。「ヴァロン」と名付け、自宅で飼っていた。
夫婦とブリーダーの女性は19年7月7日、栃木県で開かれたドッグスポーツ大会に参加した。女性から「犬を交配させたい」と頼まれ、夫婦はヴァロンを預けた。
8日後、女性から「ヴァロンが死んだ」との連絡があった。夫婦は東北自動車道のサービスエリアで女性と会い、ヴァロンを引き取った。やせ細り、前歯が2本折れていた。
夫婦は虐待を疑い、秋田県警に相談。捜査の一環で解剖を委託された獣医師が調べた結果、死因は気管に餌を詰まらせた窒息死で、背中から右脇腹にかけて内出血も確認された。体重は約6キロ減っていた。死体鑑定書には「虐待を強く示唆するものではない」との意見が付された。女性も虐待を一切否定した。
夫婦は20年4月、女性に損害賠償を求める民事訴訟を東京地裁に提起。地裁は21年8月、ヴァロンは虐待を受けて死んだと結論付け、女性に計66万円の賠償を命じる判決を言い渡した。女性側は控訴したが、今年1月25日に棄却。女性側は8日、上告した。
「虐待」を巡る鑑定書と民事訴訟の判断は、大きく異なった。
鑑定書はヴァロンの内出血について、窒息死する直前に暴れ、壁や床に衝突してできたと推定した。夫婦側が民事訴訟で提出した第三者の獣医師の見解は「死亡直前の打撃で内出血が広がることはない」だった。
一審、二審の判決は折れた2本の前歯については「経緯が不明」として判断を避けたが、内出血に関しては夫婦側の主張に沿って人為的なものと認めた。窒息死の原因も第三者の獣医師の見解を採用し、「衰弱したヴァロンの口に無理やり餌を流し込んだ」とした。
夫婦の代理人の高城昌紀弁護士(仙台弁護士会)は「国内では動物の『司法解剖』の知見が蓄積されておらず、特に外傷がある場合には原因の特定が難しい現状がある」と指摘する。
■「法獣医学」高まるニーズ、人材は不足
罰則規定や通報義務を強化した改正動物愛護法が2020年6月に一部施行され、動物虐待の真相を解明する「法獣医学」の社会的な要請が高まっている一方、人材確保など課題は多い。
法獣医学は対人間の法医学と基本は変わらず、高度な専門性が必要だ。死体の解剖所見だけでなく、虐待行為の統計的な特徴や犯罪心理学なども駆使し、死んだ動物に何があったのかを客観的に調べていく。
米国在住で法獣医学に詳しい西山ゆう子獣医師(60)によると、海外でも法獣医学分野の研究は発展途上にあり、先行する米国でも学術体系が整ってきたのは、ここ10年だという。
日本では動物の「司法解剖」の知見を持つ獣医師がほとんどいない。病理解剖が専門の獣医師が司法解剖を担い、事件性の有無を分析しているのが実情だ。
動物虐待は人に対する暴力に発展しやすいことが海外では定説になっており、取り締まり強化は世界的な潮流になっている。
西山医師は「病理解剖のアプローチだけでは犯罪の疑いを見落とす可能性がある」と指摘。「動物虐待が犯罪であるという共通認識を、もっと社会で共有するべきだ」と訴える。
[法獣医学]動物の不審死や大量死、虐待などを獣医学的な知見から調査、検証する。犯罪捜査の判断材料を提供したり、動物行政の施策に役立てたりする。技術的には人間の「法医学」と同じだが、国内には専門家がほとんどおらず、調査手法も確立されていない。
河北新報