岸田首相にパイプ爆弾を投げつけるテロは新たな戦前を想起させる

4月15日午前、遊説先の和歌山市で岸田文雄首相が襲撃された。岸田首相にけがはなかったものの、昨年の安倍元首相銃撃事件に続くテロリズムの連鎖が懸念される。これは「新しい戦前」論を否応なく想起させる事態であり、今後の日本政治に大きな影響を与える可能性がある。

現職首相の選挙遊説中にパイプ爆弾を投げつけるというテロは、かつての過激派ですらしなかったことである。今回の事件の背後に山上由来のテロリズム連鎖の「発芽」があるとした場合、日本政治に今後何がもたらされる可能性があるのだろうか。

戦前の歴史を見ると1921年の原敬首相暗殺、1930年の浜口雄幸首相銃撃、1932年の5・15事件(犬養毅首相殺害)といった襲撃事件があり、いずれも日本の議会政治・政党政治を大きく変質させた。テロリズムの連鎖こそが、結果として軍部の暴走を許した―――とニューズウィークは主張している。

社会の分断と混乱の中で遠からずファシズムの足音が聞こえてくるといった「新しい戦前」論が単なる直感と感想に留まらない可能性を想起すると、慄然とせざるを得ない状況である。今後の日本政治や社会の安定に対する影響に警戒が必要とされている。

コメント欄では以下のような意見が並んだ。

・日本が一気に不安定になり、武器を供給する勢力が現れるかもしれない。政府は民主主義への挑戦を理解していない。

・理想はオープンな議論が行われ、格差が縮小されること。戦前のような事態を避けるため、怨嗟の根本原因を解決する必要がある。

・政治家が国民の不満を無視し、利権確保に専念している。政治家はもっと危機感を持って国民のために働くべき。

・選挙が国民の意志を反映していないため、実力行使が増えている。新たな仕組みが必要。

・統一教会問題が解決されていない。政治腐敗が自浄作用がない結果のツケ。

・山上の影響を受けている可能性がある。政治家や官僚は本来の政治を行うべき。

・国家が国家としてすべきことをしていない場合、革命を起こす権利がある。今回の犯人の素性がわからないので、山上の事件と一括りにすべきではない。