[ad_1]
店頭に山積みされた「一太郎」(1996年9月)=浮川初子さん提供
赤いパッケージに毛筆の書体で書かれた商品名。日本語ワープロソフト「一太郎」が、発売されたのは1985年8月28日だった。
【写真】なつかしい…初代「一太郎」の操作画面
34歳の時にこのソフトを開発した女性プログラマー浮川初子さん(72)には、痛快な思い出がある。
(写真:読売新聞)
1万円札を同封した現金書留の山、山、山――。ネット通販がなかった時代、ソフトの購入代金が郵送で届き、金庫に入りきらないほどになった。
一太郎は、日本語の文章をパソコンで書くという行為を当たり前にした国産ソフトだ。パソコンの職場や家庭への普及を背景に、爆発的なヒットを記録した。
「日本一になれ」と願って名付けたソフトで、夫と2人で創業した「ジャストシステム」は、日本を代表するソフトウェア会社に成長した。ただし、話には続きがある。
ローマ字仮名入力、長文一気に変換…大ヒット
日本語ワープロソフト「一太郎」を開発した浮川初子さん(東京都港区のメタモジ本社で)=大金史典撮影
「本当によく稼いでくれました」。徳島市のソフトウェア開発会社「ジャストシステム」の専務で、プログラマーだった浮川初子さん(72)は、しみじみ語る。
1986年の春、当時35歳の初子さんは、徳島県の秘境・祖谷(いや)渓谷を訪れていた。前年8月にワープロソフト「一太郎」を世に送り出し、その後に急ピッチで開発した新バージョンもようやく発売。社員をねぎらおうと、2歳年上の夫で社長の和宣さんと企画した2泊3日の社員旅行だった。
「大変なんです!」。宿泊先に電話があり、慌てて会社に戻った。新バージョンの購入を申し込む現金書留が殺到していたのだ。
1通につき1万円札が3枚。開封するハサミを持つ手がすり切れた。金庫に入りきらず、取引先銀行の行員が駆け付け、その場で札束を数えて持ち帰った。そんな日が何日も続いた。
「これに懲り、それからはカード払いにした」と、初子さんは笑う。
日本語の文書作成に主にワープロ専用機が使われていた当時、一太郎は、パソコンで同じことを可能にする画期的なソフトだった。
ローマ字での仮名入力、長い文章を一気に変換する「連文節変換」機能、頻出単語が上位にくる辞書――。ソフトの心臓部が「ATOK(エイトック)」と名付けた日本語入力システムのプログラムだ。ソフト本体から独立して動き、ATOKがあれば、他社のソフトでも日本語入力ができる。
[ad_2]
Source link