【参院選2019】ハコはできても人は戻らず 原発事故から8年、福島・飯舘村の現実


帰還困難区域の福島県飯舘村長泥地区周辺を訪れた学生らに、村の現状を説明する伊藤延由さん(右)=6月

 東京電力福島第1原発事故で多くの住民が避難生活を強いられた福島県。事故から8年が経過し、避難の対象区域は段階的に縮小されているが、住民の帰還は今も思うように進んでいない。国政選挙のたびに与野党の大物議員らが駆けつける参院選福島選挙区では、今回の選挙戦でも「復興」が連呼されているものの、今も影響が色濃く残る地域では無力感もただよっている。(大渡美咲、写真も)

 「ハコモノは増えたけど、人間の復興という部分が見えてこない」

 原発事故で全村避難となり、放射線量の高い帰還困難区域の一部を除いて避難指示が解除されている同県飯舘(いいたて)村に住む伊藤延由(のぶよし)さん(75)は、こう話す。

 雑草だらけだった農地には稲や作物が植えられ、住民の帰還を促すために新しく建設された道の駅には、新鮮な夏野菜が並ぶようになった。村内には交流センターなど真新しい公共施設が設けられ、昨年4月には建物が改修された小中学校も再開。しかし、今月1日現在で住民登録者数5567人のうち村内居住者は1324人と、帰還率は2割にとどまる。

 村内は巨額の費用をかけて住宅地などの除染が行われた。事故直後から村内の空間放射線量や食品の放射線量の測定を続けている伊藤さんによると、線量が低下した場所もあるものの、少し離れると数値が上がる場所もある。生活拠点から離れた山林は対象外のため、除染されたのは面積にすると村全体の4分の1ほど。野生のキノコや山菜などからは、今でも食品基準を超えた高い放射性物質が検出されることもある。

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