アルゼンチン政治史:聖女エビータとポピュリスト、ペロンの遺産

「サッカー王国」として知られるアルゼンチンは、FIFAランク世界一に輝く強豪国です。街には代表ユニフォームを着た人々があふれ、熱狂的な応援文化が根付いています。しかし、この国の歴史と政治を語る上で欠かせないのが、国民的アイコンであるエビータと、カリスマ的指導者フアン・ドミンゴ・ペロンです。彼らの政治的遺産は、現代アルゼンチンの複雑な情勢を理解するための鍵となります。

アルゼンチンの街角、サッカーユニフォームを着た人々と治安維持にあたる騎馬警官隊アルゼンチンの街角、サッカーユニフォームを着た人々と治安維持にあたる騎馬警官隊

エビータ:聖女となった大統領夫人

アルゼンチンの象徴的人物として、サッカーのマラドーナやメッシ、革命家のチェ・ゲバラと並び称されるのが「エビータ」、エバ・ペロン大統領夫人です。1980年代のブロードウェイミュージカルや1996年の映画「エビータ」(主演マドンナ)、そして主題歌「アルゼンチンよ、泣かないで」は世界的知名度を誇ります。エビータは大統領夫人として、貧困層救済や貧富の格差是正のため積極的に活動し、エバ・ペロン財団を通じて大衆の熱狂的な支持を得ました。弱き人々の味方としての姿、そしてわずか33歳での早すぎる死も相まって、彼女は国民にとっての「聖女」、歴史上の国民的アイコンとなりました。現在も大統領府、エビータ博物館、100ペソ紙幣、そして観光名所であるレコレータ墓地の墓など、様々な形でその存在が記憶されています。

フアン・ペロン:ポピュリズムの源流とその遺産

一方、夫であるフアン・ドミンゴ・ペロンは、軍人出身のカリスマ的政治家でした。彼は第二次世界大戦中、労働福祉庁長官として当時ラテンアメリカで画期的だった労働法を制定し、労働組合保護育成を進めることで、労働者大衆から絶大な支持を集めました。副大統領を経て大統領に3度当選したペロンは、労働者の賃上げ、女性参政権の導入といった政策を進め、同時に外資排斥や外資企業の国営化を断行しました。これにより、南米における左派ポピュリズムの源流とも言える存在となりました。大衆迎合的な「バラマキ政治」との批判もあり、国家財政を悪化させた側面も指摘されています。しかし、ペロンが創設した正義党(通称ペロン党)は、1955年〜58年および1976〜83年の軍部独裁時代を除き、第二次大戦後から現在のミレイ大統領が登場するまで、アルゼンチン政治の中心であり続けました。ミレイ大統領の前任者であるアルベルト・フェルナンデス氏もまた、ペロン党出身です。ペロンとエビータが築いた政治的基盤は、現代アルゼンチン政治に色濃く影響を与え続けているのです。

アルゼンチン大統領ハビエル・ミレイ氏の肖像写真アルゼンチン大統領ハビエル・ミレイ氏の肖像写真

エビータとペロンは、そのカリスマ性と進歩的な政策(一部批判もあるが)を通じて、アルゼンチンの政治と社会に深い足跡を残しました。彼らが築いた労働者重視の政治文化とポピュリズムの潮流は、その後の政権にも引き継がれ、今日のアルゼンチンが直面する課題や政治的分断の根源ともなっています。彼らの遺産を理解することは、アルゼンチンの未来を占う上で不可欠です。

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