コンゴ・カンボベ地区の道路脇に立つ中国語の書かれた看板=4月(共同)
(写真:47NEWS)
コンゴ・カンボベ地区の鉱山を警備する兵士=4月(共同)
コンゴ・カンボベ地区の居住エリア=4月(共同)
コンゴ南東部カンボベ近郊で、ウラン流出の懸念を語るポール・キシンバ氏=4月(共同)
盗掘の実態を証言するキサフ・キラ氏=4月、コンゴ・カンボベ地区(共同)
シンコロブエ鉱山が位置する森=4月、コンゴ・カンボベ地区(共同)
線量計の使い方を説明するバンザ・セレスティン教授(左)=4月、コンゴ・カンボベ地区(共同)
坑道の空間線量の測定を終え、外に出てきた鉱山労働者=4月、コンゴ・カンボベ地区(共同)
コンゴ・カンボベ地区のスラム街に暮らす子どもたち=4月(共同)
米国が広島、長崎の原爆製造に使った大半のウランの起源であるコンゴ(旧ザイール)南東部シンコロブエ鉱山。その周辺が今どうなっているのか探るため現地入りした。利権渦巻くコンゴの鉱山地帯の治安は劣悪だ。見た目で明らかに外国人と分かる私ができるだけ安全を確保するにはどうするべきか。同行のコンゴ人ジャーナリストがアドバイスをくれた。「おどおどせず、中国人ビジネスマンのふりをしていれば乗り切れる」
その言葉の意味は、シンコロブエ鉱山があるカンボベ地区に到着してすぐに納得できた。そこは銅やコバルトといった資源を求めて中国やインドなどの鉱山関連企業がひしめく“経済的植民地”だった。(敬称略、共同通信ナイロビ支局 菊池太典)
▽巧妙に拒絶される入山
先に告白すると、半年以上の交渉の末、シンコロブエ鉱山への入山はついにかなわなかった。コンゴの中央政府の許可は得たものの、地元の上カタンガ州政府が首を縦に振らない。4月中旬、コンゴ第2の都市ルブンバシの州庁舎で、中央政府の許可証を手にジャック・カトウェ知事に直談判したが、「準備に時間が必要なので待つように」。こちらの取材可能な期限の切れるのが近いことを知った上での、事実上の拒絶だった。
この拒絶が、シンコロブエ鉱山が単なる歴史遺構ではなく、現在の社会問題につながっていることを確信させた。ウラン採掘が終わった1960年にいったん閉山されたが、コンゴ政府は1990年代、コバルト鉱山としての採掘を許可した。しかしウラン盗掘の疑惑が出て国際的な非難を浴び、2004年に完全な閉山となった。
「鉱山は24時間体制で兵士が監視しておりウラン流出はあり得ない」。知事や州政府幹部は入山を認めない代わりに、保安体制の万全さを繰り返し強調した。私は鉱山周辺の様子を確認しようと、ルブンバシから車で約2時間の距離にあるカンボベ地区へ向かった。
▽外国企業進出で増えた盗掘
「減速慢行」「有限公司」「銅」。カンボベを車で走ると、道路脇の看板や行き交う工業用車両のコンテナに、容易に漢字を見つけることができる。地元の人権活動家ポール・キシンバ(60)によると、このエリアの鉱山はコンゴの国営企業が運営していたが、2010年代から中国やインドをはじめとした外国企業に採掘権を譲り渡す動きが顕著になった。キシンバは嘆く。