竹やぶから2億円!「大変な目に遭った」拾った男性が負った傷と現金の行方

1989年4月、元号が平成に変わり、バブル景気がピークを迎えようとしていました。その頃、神奈川県川崎市高津区の竹やぶで、なんと約1億4500万円の現金が入ったバッグが見つかりました。さらに5日後には、9000万円入りの紙袋も発見されました。計2億円以上の謎が現れ、この事件は「現代版竹取物語」として騒がれ、多くの人々が現場に詰めかけました。しかし、周りの羨望の視線をよそに、拾い主たちは「騒ぎで人生が変わることはない」と語っていました。しかし、その後の彼らの人生には実は大きな「傷」が残ることになります。

「名所」と化した発見現場

竹やぶは今や大規模な分譲マンションとなっており、多くの人々の住まいになっています。その竹やぶの跡地であることを知らずに生活している方もいるほどです。竹やぶを見つけた渡辺裕康さん(72)は、近隣の一軒家に住んでおり、当時の騒動を鮮明に覚えています。

「あの屋根の色、実家に似ているな」と当時の渡辺さんは感じました。彼は株関連の業界紙の記者をしていたため、竹やぶが映る映像に注目していました。数日後、現場の様子を見に行くと、警察による規制線が張られ、やじ馬が集まっていました。バブル景気の中で株価が高騰し、人々が一喜一憂している姿を間近で取材してきた渡辺さんも、この光景に驚きました。「屋台まで出ていたくらいです。ある一時的な『名所』になっていたんです」と振り返ります。

最初の現金入りバッグを見つけたのは、竹やぶでタケノコ採りをしていた当時39歳の男性でした。彼は竹やぶから数キロ離れた商店街で夫婦で焼き鳥屋を経営しており、この事件がきっかけで多くの報道が集まりました。

所有者「脱税した金だった」

神奈川県警は、札束に残された帯封の日付や金融機関名から所有者の特定に取り組みました。1カ月後、記者会見が開かれ、当時46歳の男性社長が竹やぶに現金を置いたことを認めました。社長は東京都大田区で通信販売会社を経営していました。所有者が判明した後、社長は「脱税した金だった。善意の人に拾われ、社会に役立てるために寄付してほしかった」と釈明しました。

拾い主の男性は当時の報道陣に対して「私はスターではありません。ただ、お客さんに美味しい焼き鳥を提供したいだけです。今回の騒動で人生が変わることはないですが、とにかくホッとしています」と述べました。

脱税が認められたものの、所有者は現金を捨てたのではなく、置いていったことを主張し、遺失物法に基づき所有者に現金が返還されました。社長は拾い主に10%の謝礼を支払いました。男性は1450万円を受け取りました。また、5日後に現金を見つけたもう一人の発見者の男性は900万円を受け取りました。社長は残りの金額を全額、難病関連の施設に寄付したいと語りました。騒動は終息しましたが、拾い主たちの人生には大きな影響が残ることになったのです。

Source link: 日本ニュース24時間