国民の声を代弁する「国会の爆弾発言男」
1993年、日本に新しい風を吹き込んだ日本新党から立候補し、見事トップ当選を果たした石井紘基氏。その後、自由連合、新党さきがけ、民主党と所属を変えながらも、彼の政治姿勢は一貫して「不正を許さず、国民のために」というものでした。
1994年、羽田孜連立内閣で総務政務次官に就任した石井氏は、早くもその手腕を発揮します。住宅・都市整備公団(現・独立行政法人都市再生機構)による子会社への工事発注操作疑惑を追及し、国会を揺るがせたのです。
この追求は大きな反響を呼び、総務庁(現・総務省)による行政監察に発展。巨大な力を持つ特殊法人に切り込んだ石井氏の行動は、多くの国民に希望を与えました。
阪神・淡路大震災、オウム事件… 困難に立ち向かう勇気
1995年、日本は阪神・淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件という未曾有の事態に見舞われます。
石井氏は、カルト宗教問題に取り組んでいた紀藤正樹弁護士と連携し、「オウム真理教問題を考える国会議員の会」を立ち上げます。
さらに、統一教会の世田谷進出に反対する住民運動にも積極的に参加。政治家としての責任を果たすと共に、市民と共に戦う姿勢を示しました。
その後も、防衛庁の装備品調達における贈収賄事件や、日本道路公団(現・特殊会社NEXCO3社)などの特殊法人の不透明な業務内容を次々と追及。
「特殊法人は1200社以上、子会社を含めればさらに多く、公益法人においても職員51万人に対し役員が49万人。これらが民間と同じビジネスを行い、官僚の天下りとなっている現状を改革しなければ意味がない!」
石井氏の鋭い指摘は、国民の多くが感じていた疑問を代弁するものでした。
独自の調査で権力の闇に切り込み、その真実を白日のもとに晒した石井氏は、「国会の爆弾発言男」として、国民からの絶大な支持を集める存在となっていったのです。