上皇から美智子さまへの「思慮にみちたプロポーズの言葉」をご存知ですか? その言葉が、美智子さまを動かした


【写真】皇室記者が現場で感じた、新天皇夫妻と上皇夫妻の「大きな違い」

この記事では、1958年、美智子さまが明仁皇太子との結婚を決めたさいのエピソード、プロポーズの言葉などをくわしく紹介した部分を、『比翼の象徴』の中巻より抜粋・編集してお届けします。

美智子に決意させた明仁皇太子の言葉

八日、朝日新聞の佐伯晋記者は正田家を訪れた。箱根の富士屋ホテルで聞いた美智子の結婚についての思いは記事にしないという約束だったが、佐伯が「素直な気持ちを世間に伝えたほうがいい」と言うと、美智子は公表することを承諾した。

佐伯は「あくまで推測ですが、富美子さんが、僕を娘に会わせたのも、娘への掩護射撃とも受け取れます。美智子さんも記者に決心を伝えることで、父と兄とへの説得を考えたのではないだろうか」と述懐している。この日、富美子はこぼれる涙をぬぐおうともせずにこう話したという。

「皇室を尊敬しますが、神さまとはけっして思わない教育を戦前から私たちはしてきました。皇太子という身分、地位は結婚にはマイナスの条件としか考えられなかったのです」

同じ日の夕刻、織田和雄(編集部注:明仁皇太子の学友)は明仁皇太子に呼ばれて東宮仮御所に行った。皇太子は「なかなかうまくいかないんだ」と美智子からよい返事がないことを話した。美智子の心は結婚承諾でほぼ固まっていたが、明確な返答はしていなかったのだ。織田は「世間一般では、お嫁に来て頂きたい意思表示の一つに“柳行李(やなぎごうり)ひとつで来て下さい”と言うこともあるのですよ」と口説き文句をアドバイスした。

すると皇太子は美智子に電話を入れることを頼んだ。別室で約一時間、皇太子は美智子と話し続けた。ドアが開き、織田の前に現れた皇太子は高揚し、満足感をたたえた表情だった。織田は皇太子がついに美智子から承諾の返事を得たと受け取った。実際、この八日以降、結婚に向けた動きが急展開する。



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