笑福亭笑瓶さん。黄色い縁のメガネと優しい笑顔がトレードマークのお茶の間の人気者。2023年2月、急性大動脈解離で惜しまれつつこの世を去りました。 テレビでは決して見せることのなかった素顔、そして最期の瞬間を知る人物こそ、唯一の弟子である笑福亭笑助氏です。今回は、笑助氏に語っていただいた笑瓶さんの思い出、知られざる一面、そして師弟愛に迫ります。
9年前にも同じ病魔に…奇跡の復活と妻への想い
笑瓶さんは、2015年にゴルフのプレー中に急性大動脈解離で倒れ、ドクターヘリで搬送されるという危機を経験していました。当時、山形を拠点に活動していた笑助氏は、一報を受けすぐに病院へ駆けつけました。「師匠、びっくりしました!」と声をかけると、「おう、俺もびっくりした…」と、意識ははっきりしていたものの、死を覚悟した笑瓶さんは、一緒にいた神奈月さんに妻への感謝と謝罪の言葉を託そうとしていたそうです。しかし、神奈月さんはその言葉を拒否し、励まし続けました。このエピソードからも、笑瓶さんの家族愛の深さ、そして周囲の人々からの深い愛情が伺えます。
笑福亭笑瓶さんと愛弟子・笑福亭笑助氏のツーショット
健康に気を遣う日々…そして突然の別れ
九死に一生を得た笑瓶さんは、ヘビースモーカーだったタバコをやめ、食生活にも気を遣うなど健康に留意する日々を送っていました。しかし、2023年2月21日の朝、自宅で再び病魔に襲われます。 奥様との何気ない会話の後、ストレッチのためにリビングへ向かった笑瓶さん。異変を感じた奥様が駆けつけると、すでに倒れていたそうです。「胸が痛い」と訴え、救急車を呼ぶ中、奥様に「今までごめんな。ありがとう」と感謝の言葉を伝えた後、意識を失いました。
最後の別れ…笑瓶さんの遺したもの
笑助氏は、連絡を受け大阪から都内の病院へ。妻、所属事務所社長、マネージャーと共に、ICUで眠る笑瓶さんを見守りました。一旦帰宅したものの、翌朝、容態が悪化しECMOを外すとの連絡を受け、再び病院へ。笑瓶さんは、安らかに眠るように息を引き取りました。現在も遺品整理中の笑助氏。落語のCD、出演番組のビデオテープ、テレビで使った着ぐるみ、モデルガン、模造刀など、笑瓶さんの人生の軌跡が詰まった品々が、笑助氏の心を締め付けます。
笑福亭笑瓶さんの遺品
笑福亭笑瓶さんの温かい人柄とユーモア
笑瓶さんは、芸人仲間やスタッフからも愛される存在でした。 その温かい人柄とユーモアは、多くの人々に笑顔と元気を与え続けました。笑助氏にとって、笑瓶さんは師匠であると同時に、人生の先輩、そしてかけがえのない存在でした。笑瓶さんの教えは、笑助氏の心に深く刻まれ、これからも芸人としての道を歩む上で大きな支えとなるでしょう。 笑福亭笑瓶さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。