高倉健さん、日本映画界を代表する名優。その渋い魅力と圧倒的な存在感で、数々の名作を世に送り出しました。しかし、2014年11月10日、惜しまれつつもこの世を去ってから10年、その遺産を巡る物語は、今もなお人々の心に波紋を広げています。この記事では、高倉健さんの遺骨を巡る親族との確執、養女・小田貴月さんの動向、そして健さんの偉大な軌跡を改めて振り返ります。
高倉健さんの遺志と養女の存在
33歳年下の小田貴月さんは、高倉健さんの晩年を支えた人物として知られています。健さん自身の「世話になった人に財産を残したい」という遺志のもと、貴月さんと養子縁組が行われ、彼女は40億円ともいわれる遺産を相続、個人事務所「高倉プロモーション」の代表に就任しました。
高倉健さんの遺影
貴月さんは健さんの死後、親族との接触を避け、弁護士を通じてのみやり取りを行うなど、その姿勢は物議を醸しました。特に、健さんの遺骨を巡る対応は、親族との確執を深める一因となりました。
遺骨を巡る葛藤と故郷への帰還
九州に住む親族は、健さんの母親と同じ菩提寺に遺骨を納めたいと願っていましたが、貴月さんは「故人の遺志で散骨する」として拒否。この一件は、健さんの故郷である福岡県中間市でも大きな話題となりました。
しかし、七回忌を機に、東宝の島谷能成会長(当時社長)の仲介により、分骨された遺骨の一部がついに中間市へ。長年の確執を経て、健さんの一部は故郷の土へと帰ることができたのです。
小田貴月さん
映画関係者の間では、貴月さんの行動に戸惑う声もあったといいます。健さんの愛車やクルーザーの処分、江利チエミさんとの思い出が詰まった世田谷の自宅の取り壊しなど、その決断は周囲を驚かせました。
高倉プロモーションと今後の展望
貴月さんは高倉プロモーションの代表として、健さんに関連する著作権や版権ビジネスを管理。健さん関連のイベントにも深く関与し、上映会の内容に厳しい指摘を入れるなど、その影響力は大きいと言われています。
没後10年の法要には、東宝と東映の会長、そして数々の作品で健さんと共に歩んだ木村大作監督も参列。貴月さんの存在感を改めて示す場となりました。
時代を彩った名優、高倉健さん。その人生は、映画界だけでなく、多くの人々の心に深い感動と影響を与えました。没後10年を経てもなお、その存在は色褪せることなく、語り継がれていくことでしょう。