インターネットの夢が語られた時代から、SNSでの感情的な言葉の応酬が繰り返される現代へ。玉石混交の情報が飛び交う中で、時に大衆を熱狂させ、時に炎上の的となる「嫌われ者」と呼ばれる存在。玉川徹氏、西野亮廣氏、ガーシー氏、吉村洋文氏、山本太郎氏…彼らはなぜこれほどまでに注目を集めるのでしょうか?新刊『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』を基に、彼らが体現する日本社会の現状を紐解いていきます。
「嫌われ者」たちは社会の鏡?
『「嫌われ者」の正体』では、一見異なるように見える彼らを一つの社会現象として捉えています。彼らはインターネット時代の寵児であり、同時にその光と影を映し出す存在と言えるでしょう。彼らの言動は、なぜこれほどまでに人々の心を揺さぶるのでしょうか?
玉川徹氏、西野亮廣氏、ガーシー氏、吉村洋文氏、山本太郎氏といった、メディアで注目を集める人物たち
インターネットの夢と現実
2010年代、インターネットは既存メディアに取って代わる新たな言論空間として期待されました。しかし、現実はSNSでの感情的な対立を生み出す結果となりました。コロナ禍、東京オリンピック開催、安倍元首相銃撃事件、旧統一教会問題…社会を二分する出来事が起こるたびに、インターネット上では感情的な言葉の応酬が繰り広げられました。
幼稚化する日本社会と「正論」の罠
党派性の違いによる対立は深まり、論破を目的とした不毛な議論が蔓延しています。「ゼロコロナ」「東京オリンピック中止」「旧統一教会が自民党をコントロール」…こうした主張は、SNS上で一定の支持を集めながらも、現実的な根拠に乏しいものが多く見られました。
カルト的思考との類似性
カルト宗教団体に対峙する宗教家は、「自分たちは絶対善、相手は絶対悪という思考こそがカルト的思考」と指摘しています。インターネット上の論破主義も、このカルト的思考と同様に、幼稚で単純化された二元論に陥りがちです。妥協を許さない正論の押し付けは、健全な議論を阻害し、社会の分断を深める要因となっています。
社会現象を巻き起こす人物たちの言動は、日本社会の現状を反映していると言えるでしょう。
取材を通して見えてきたもの
本書の著者である石戸氏は、賛否両論渦巻く「嫌われ者」たちに直接取材を行い、彼らの存在意義を浮き彫りにしようと試みています。時間をかけて言葉を交わすことで、異なる意見を持つ者同士でも、共通点や類似点を見つけることができる。これは、多様性を育む上で重要な視点です。
多様性を受け入れる社会へ
陣営に分かれ、攻撃的な言葉を投げつけ合うのではなく、違いを認め、互いに敬意を払うこと。これこそが、成熟した社会への第一歩と言えるでしょう。「嫌われ者」たちの存在は、私たちに多くの問いを投げかけます。彼らの言動を通して、日本社会の幼稚化という問題に向き合い、より成熟した議論の場を築き上げていく必要があるのではないでしょうか。