皇室最高齢の101歳で薨去された三笠宮妃百合子さま。国民に深い悲しみをもたらしたこの訃報を受け、宮内庁は11月26日に「斂葬の儀」を執り行うと発表しました。喪主は孫の彬子さまが務められます。百合子さまの生涯と、葬儀における信子さまの不在をめぐる複雑な家族関係について、改めて振り返ってみましょう。
百合子さまの薨去と斂葬の儀
2024年11月15日朝、三笠宮妃百合子さまが101歳でご逝去されました。3月から聖路加国際病院に入院されていましたが、11月7日の検査で容態が急変。イギリス訪問中だった彬子さまが緊急帰国し、瑶子さまや高円宮妃久子さまら親族が連日お見舞いに訪れていました。しかし、寬仁親王妃信子さまの姿は最後まで見られませんでした。
三笠宮瑶子さま 宜仁親王十年式年祭で。24年6月8日
16日夕方には親族のみで「御舟入」が執り行われ、26日には本葬にあたる「斂葬の儀」が執り行われます。喪主は彬子さまが務められることが発表されましたが、ここでも信子さまの不在が注目されています。
長年にわたる確執、信子さま不在の理由
信子さまの不在は、長年にわたる家族間の確執が背景にあるとされています。彬子さまは2015年の月刊誌への寄稿で、寬仁親王家が長年一族の中で孤立していたこと、その要因が両親の確執にあったことを明かしています。信子さまは10年以上前から療養を理由に別居し、皇族としての公務も休まれていました。彬子さま自身も、10年以上信子さまとしっかりとした会話ができていないと綴っています。
寛仁さまと信子さまの別居、そして最期の別れ
信子さまが寬仁親王邸を出られたのは2004年のこと。表向きは療養のためとされていましたが、夫婦仲の悪化が原因だと報じられてきました。寬仁さまを敬愛していた彬子さまと瑶子さまにとっては、受け入れ難い出来事だったのでしょう。
皇室ジャーナリストの山下裕子氏(仮名)は、「信子さまは危篤状態の寛仁さまに面会するため病院に通われていましたが、家族の意向で対面は叶いませんでした。葬儀にも参列されなかったことが、三笠宮家との関係をさらに悪化させた可能性があります」と指摘します。
瑶子さまの金髪×ピンクメッシュの着物姿。24年10月30日園遊会
9月16日放送の『徹子の部屋』に出演した際も、彬子さまは信子さまについて一切触れませんでした。これらの出来事が、今回の斂葬の儀における信子さまの不在につながっていると考えられます。
百合子さまを偲び、未来へ
百合子さまのご逝去は、皇室にとって大きな損失です。しかし、残された皇族方はその遺志を継ぎ、皇室の伝統を守り続けていくことでしょう。私たちは百合子さまのご冥福をお祈りするとともに、皇室の未来を見守っていきたいものです。