俳優の火野正平さんが11月14日、75歳で亡くなられました。NHK BSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」で14年間、自転車で日本各地を巡り、視聴者に温かい感動を届けてきた火野さん。その穏やかな笑顔の裏には、波乱万丈の人生がありました。この記事では、彼の人生を振り返り、その魅力に迫ります。
子役から国民的俳優へ:羽柴秀吉役でブレイク
火野さんは12歳から子役として活動を始め、1973年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」で羽柴秀吉役を演じ、一躍有名になりました。作家の池波正太郎さんに名付けられたという芸名「火野正平」もこの時から使用されています。
火野正平さん出演映画のワンシーン
「にっぽん縦断 こころ旅」:自転車の旅で日本中を魅了
近年では「にっぽん縦断 こころ旅」で14年間にわたり、視聴者から寄せられたエピソードを元に1200日を超える旅を続けました。自転車で日本各地を巡る姿は、多くの視聴者の心を掴み、国民的俳優としての地位を確立しました。
プレーボーイと呼ばれた奔放な恋愛遍歴
数々の女性スキャンダルでも知られた火野さん。1971年に一般女性と結婚し、1男1女をもうけましたが、同年女優・新藤恵美さんとの不倫が報じられました。その後も数々の女性と浮名を流し、“11股交際”を公言したことも。しかし、持ち前の愛嬌で女性たちからは憎まれることはなかったといいます。共演経験のある俳優、若山騎一郎さんによると、火野さんは誰からも好かれる愛されキャラだったそうです。
事実婚という選択:生涯続いた最初の妻との関係
奔放な恋愛遍歴で知られた火野さんですが、最初の妻との婚姻関係は生涯解消されることはありませんでした。女性関係について「基本的に受け身」と語っていた火野さん。離婚については「それは女房が決めること」と、あるインタビューで答えていました。
家族愛に包まれた最期:事実婚のパートナーと娘たちに愛されて
1981年からは別の一般女性と出会い、2人の娘をもうけ、事実婚の関係を続けました。長女は「家族の中でもパパはプレーボーイだった」と語り、家族で火野さんを奪い合うほど愛されていたといいます。毎年家族でハワイのカウアイ島へ旅行に行くのが恒例だったそうで、事実婚の妻への「指輪代わり」だったと火野さん自身も語っています。
今年は持病の腰痛が悪化し、旅行もままならなかった火野さん。亡くなる1ヶ月前には杖をついて歩く姿が目撃されていました。しかし、闘病中も家族の愛情に支えられ、最期は静かに息を引き取ったといいます。
カウアイ島への想い:最期の場所に選んだ特別な場所
火野さんは生前、「墓はいらないから、カウアイ島の一番好きだった沖に骨を撒いてほしい」と語っていたそうです。闘病生活の中でも、カウアイ島の美しい思い出が火野さんの心を支えていたのかもしれません。
火野正平さん。その波乱万丈の人生は、多くの人の心を揺さぶり、そして温かい気持ちにさせてくれました。「こころ旅」で見せた優しさ、そして数々の作品で残した功績は、永遠に私たちの記憶に残ることでしょう。