史上最悪の食中毒事件:44人の命を奪った大福の闇

1936年、運動会日和の晴天の下、静岡県立浜松第一中学校(現:浜松北高校)で起こった悲劇は、今も語り継がれる食中毒事件として記憶されています。配られた大福餅が原因で、2000人以上が苦しみ、44人もの尊い命が失われました。一体、何が起きたのでしょうか? この記事では、当時を振り返りながら、事件の真相に迫ります。

幸せな運動会が悲劇の始まりに

1936年5月10日、浜松第一中学校の運動会は、生徒たちの笑顔と活気に満ち溢れていました。毎年恒例となっている紅白の大福餅が、生徒、教員、保護者らに配られ、楽しい一日を締めくくりました。しかし、この大福こそが、後に想像もつかない悲劇を引き起こす原因だったのです。

運動会の様子をイメージした写真運動会の様子をイメージした写真

謎の食中毒、恐怖が広がる

翌日の振替休日、浜松市内の病院から学校へ次々と電話が入りました。「生徒が食中毒の疑いがあります」。連絡を受けた学校側は、すぐに事態を把握し、配布した大福餅が原因ではないかと疑い始めます。しかし、製造元の和菓子店「三好野」は、その可能性を否定しました。5月とはいえ、まだ涼しい時期。教室に置いていた大福が傷むとは考えにくかったのです。

しかし、食中毒の症状を訴える生徒は増え続け、翌12日には全生徒の3分の2が欠席。学校は臨時休校を余儀なくされました。事態を重く見た警察は、三好野への現場検証を実施。材料の仕入先などを徹底的に調べますが、決定的な証拠は見つかりません。

深まる謎、そして最初の犠牲者

食中毒の症状は、高熱、下痢、嘔吐など様々でしたが、重症の場合は痙攣や意識混濁といった深刻な状態に陥るケースもありました。浜松では過去にも食中毒事件は発生していましたが、これほどの重症例は前代未聞でした。警察は毒物混入の可能性も視野に入れ、捜査を進めます。恨みを持つ元従業員、競合他社、学校への恨みを持つ人物など、様々な可能性が考えられましたが、いずれも証拠は不がりませんでした。

そして、ついに最悪の事態が訪れます。12日、重症だった15歳の男子生徒が亡くなったのです。

食中毒の原因究明、731部隊の関与

この未曾有の食中毒事件の解明には、後に第二次世界大戦中に非道な人体実験を行ったとされる731部隊(関東軍防疫給水部)のメンバーが関わっていたという事実も、事件の闇をさらに深くしています。 食中毒の原因究明は難航を極め、様々な憶測が飛び交いました。

真犯人は一体誰なのか?

警察は、三好野の店主夫婦や職人らを事情聴取し、大福の成分検査も行いますが、毒物は検出されません。一体、誰が、何が原因で、この悲劇は起きたのでしょうか? 事件の真相、そして真犯人の正体とは? 後編では、その驚くべき結末に迫ります。