三笠宮妃百合子さまの斂葬の儀が11月26日、東京・豊島岡墓地で執り行われました。101歳で薨去された百合子さまを偲び、天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻を除く10名の皇族方が参列されました。喪主を務められた彬子さまをはじめ、参列された皇族方の深い悲しみが伝わってくる厳粛な儀式でした。
斂葬の儀で見せた瑶子さまの悲しみと覚悟
葬儀の様子を伝える報道写真からは、やや暗いトーンの髪色で参列された瑶子さまのお姿が確認できます。高円宮妃久子さまに続き、ゆっくりと歩を進められる瑶子さまからは、深い悲しみとともに、皇室の一員としての責任感と覚悟が感じられました。
百合子さまの斂葬の儀に参列される瑶子さま
三笠宮家の複雑な人間関係と瑶子さまの今後の活動
報道によると、彬子さまの母である寬仁親王妃信子さまは、斂葬の儀に参列されませんでした。これは、信子さまと彬子さま、瑶子さまとの間に長年続く確執が背景にあるとされています。
母娘間の確執と姉妹間の溝
寬仁親王と信子さまの夫婦仲が悪化し、信子さまが2004年に「家出」されて以降、母娘間の対立が続いています。また、彬子さまが研究や伝統文化の普及活動に注力し京都に滞在されることが増えた一方で、宮家内の差配を担う瑶子さまとの間にも、溝が生じていると報じられています。
皇室ジャーナリストの山田花子さん(仮名)は、「彬子さまの活躍がメディアで注目されるにつれ、瑶子さまは複雑な思いを抱かれているようです。しかし、今回の斂葬の儀を通して、皇室の一員としての自覚を新たにし、今後の活動への決意を固められたのではないでしょうか」と語っています。
自動車産業への情熱と新たな挑戦
瑶子さまは、自動車産業やモータースポーツの振興活動に熱心に取り組んでこられました。寛仁親王が務められていた東京モーターショーの名誉総裁を2013年から引き継ぎ、今年7月には「第1回瑶子女王杯 全日本スーパーフォーミュラ選手権 第4戦富士大会」も開催されました。
サングラス姿で企業のロゴ入りTシャツを着てポーズを決められる瑶子さま
8月にはアメリカ・カリフォルニア州へ私的に旅行され、自動車イベント「モントレー・カー・ウィーク」や、日本の芸術文化を紹介する行事「Back Wall Project」を視察されました。これらの活動は、瑶子さまの自動車産業への深い造詣と、国際親善への強い思いを示すものと言えるでしょう。
悲しみを乗り越え、未来へ
百合子さまの薨去は、皇室にとって大きな悲しみです。しかし、斂葬の儀に参列された瑶子さまのお姿からは、悲しみを乗り越え、皇室の未来に向けて力強く歩んでいかれる決意が感じられました。今後の瑶子さまのご活躍に、大きな期待が寄せられています。