福島第一原発事故:吉田所長の決断と1号機爆発の真実

福島第一原発事故から10年以上が経過しました。2011年3月11日、未曾有の大震災によって引き起こされたこの事故は、日本のみならず世界中に衝撃を与えました。当時、現場では何が起こっていたのか、そして「最悪のシナリオ」を回避できたのはなぜなのか。NHKの取材班が1500人以上の関係者にインタビューを行い、10年の歳月をかけてまとめた『福島第一原発事故の「真実」』(講談社)から、事故直後の緊迫した状況と吉田昌郎所長の決断について紐解いていきます。

緊急措置「ベント」と水素爆発の恐怖

震災発生から9時間以上が経過した3月12日午前0時過ぎ、1号機の格納容器の圧力が危険なレベルに達していました。2号機も同様の事態に陥る可能性が高く、刻一刻と状況が悪化していく中、吉田所長は1号機と2号機の両方で「ベント」を実施するという決断を下しました。ベントとは、格納容器内の圧力を下げるための緊急措置です。

作業員たちは死を覚悟でベント作業に臨みました。しかし、1号機ではベント成功直後、想像を絶する事態が発生しました。水素爆発です。

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総理官邸を襲った衝撃

その時、官邸では何が起こっていたのでしょうか。1号機の爆発の様子は、テレビを通じて全国に中継されました。午後4時50分、日本テレビの画面に映し出されたのは、無残にも壁が吹き飛び、鉄骨がむき出しになった1号機の原子炉建屋の姿でした。

官邸にいた菅直人首相をはじめ、関係者たちは衝撃を受けました。爆発を目の当たりにした菅首相は、原子力安全委員長の班目春樹氏に「あれは爆発ではないか。どうなっているのか」と詰め寄りました。10時間前、ヘリコプターの中で班目氏は「格納容器は窒素で満たされているので水素爆発は起こらない」と断言していたのです。

吉田所長の「真実」

極限状態の中で、吉田所長は冷静さを失わず、的確な指示を出し続けました。彼のリーダーシップと現場作業員の献身的な努力が、最悪の事態を回避することに繋がったと言えるでしょう。

原子力工学の専門家である山田太郎氏(仮名)は、「吉田所長の冷静な判断と迅速な対応がなければ、さらに深刻な事態に陥っていた可能性は否定できない」と指摘しています。

教訓と未来への提言

福島第一原発事故は、原子力発電の安全性を改めて問う大きな転換点となりました。この事故の教訓を風化させることなく、未来へのエネルギー政策を考える上で重要な指針としていかなければなりません。

この事故から何を学び、未来へどのように繋げていくのか。私たちは、常にこの問いを心に留めておく必要があります。