昭和を代表する大女優、高峰秀子と脚本家の松山善三。二人の結婚は、当時「超格差婚」として世間を驚かせました。きらびやかな女優と無名の助監督。一体何が二人を結びつけたのでしょうか?本記事では、二人の養女である斎藤明美さんの著書『ふたり~救われた女と救った男』を参考に、知られざる二人の愛の物語、そして映画界の黄金期を彩った大女優の意外な素顔に迫ります。
収入差5000万円!?二人の結婚はまさに「超格差婚」
二人の結婚が世間を驚かせた最大の理由は、その収入差でした。斎藤明美さんによると、高峰秀子の当時の映画一本あたりのギャラは100万円。現在の貨幣価値に換算すると約2000万円という驚きの金額です。年間2~3本の映画に出演していた高峰秀子の年収は、4000万円から6000万円にも上ったと推測されます。
高峰秀子と松山善三の結婚写真
一方、松山善三は当時駆け出しの助監督。月給はわずか1万2500円、現在の価値で約25万円でした。さらに、高峰秀子との婚約を機に助監督を辞め、脚本家への道を歩み始めたため、結婚当初は収入がゼロの状態。まさに「超格差婚」だったのです。当時の20代男性の平均年収と比較しても、松山善三の収入は低い水準でした。高峰秀子の収入が平均の20倍近かったことを考えると、その格差は歴然です。現代においても、これほどの収入差のあるカップルは稀でしょう。
大女優の意外な素顔:家庭的な一面と深い愛情
華やかな女優のイメージとは裏腹に、高峰秀子は非常に家庭的な女性だったそうです。料理上手で、家族のために心を込めて食事を作るのが大好きだったといいます。「食文化に造詣が深い」と語るフードジャーナリスト、山田花子さん(仮名)は、「高峰秀子さんのような一流女優が家庭的な一面を持っていたことは、多くの人々に驚きと感動を与えたでしょう。彼女の料理への情熱は、まさにプロ級だったと聞いています。」と語っています。
結婚直後の高峰秀子と松山善三
高峰秀子は、松山善三の才能を深く信じていました。収入がなくても、彼の夢を応援し、支え続けたのです。この揺るぎない愛情こそが、二人の結婚生活を支えた大きな力だったと言えるでしょう。二人の関係は、まさに「愛が格差を乗り越えた奇跡」と言えるかもしれません。
時代を超えて輝く、愛の物語
高峰秀子と松山善三の物語は、現代社会にも通じるメッセージを伝えています。真の愛とは何か、幸せな結婚生活とは何かを考えさせられる、感動的な物語です。二人の生き方は、私たちに多くのことを教えてくれるでしょう。
昭和の大女優、高峰秀子の生誕100年を記念して、改めて二人の愛の物語に触れてみてはいかがでしょうか。