真珠湾攻撃を立案した山本五十六。その戦略の裏には、実は英国人パイロットの協力があったという驚くべき事実をご存知でしょうか?この記事では、謎の人物「ラトランド」と山本五十六の知られざる関係、そして航空機技術の発展に隠された物語に迫ります。
イギリス海軍航空技術の流入と山本五十六の慧眼
1923年以降、第一次世界大戦で活躍したイギリス海軍のカリスマパイロット「ラトランド」が、日本の海軍航空技術発展に大きく貢献していたと言われています。当時、航空先進国であったイギリスの技術は、日本海軍にとって喉から手が出るほど欲しいものだったのです。山本五十六は、このラトランドの協力によって空母機動部隊構想を具体化していくことになります。
山本五十六
ラトランドと萱場資郎が共同開発した着艦装置は、空母航空の大きな課題であった着艦時のリスクを軽減する画期的なものでした。1924年、山本五十六は着艦装置の成功を祝う席で、ラトランドらへの感謝を述べるとともに、未来の戦争は航空機が中心になると予見しました。まだ飛行機は小さくて遅いものの、技術革新によって大きく発展するだろうと確信していたのです。
ポーカーと英語? 山本五十六の意外な一面
驚くべきことに、山本五十六は流暢な英語を話しました。ハーバード大学留学時代に培った英語力は、ポーカーを通して磨かれたといいます。彼はポーカーでクラスメートのお金をすべて巻き上げ、その資金でアメリカ横断ヒッチハイク旅行をしたという逸話が残っています。遊びを通して実践的な英語を学び、異文化に触れることで、彼の世界観は大きく広がったのでしょう。
着艦装置開発秘話と萱場製作所の躍進
萱場製作所(現KYB)は、ラトランドと萱場の共同開発による着艦装置の特許を取得し、海軍からの注文増加を見込んでいました。主任操縦士の桑原虎雄も、この成功が萱場製作所の発展に大きく貢献すると確信していたといいます。ラトランドと萱場、そして日本海軍の思惑が複雑に絡み合い、航空技術開発は大きく進展していきました。
真珠湾攻撃への布石
ラトランドの協力によって日本海軍の航空技術は飛躍的に向上し、後の真珠湾攻撃へと繋がっていくことになります。1925年から1928年にかけてアメリカ勤務を経験した山本五十六は、アメリカ海軍の航空戦力運用に強い関心を持ち、情報収集に励んでいました。この頃から、すでに真珠湾攻撃の構想が芽生えていたのかもしれません。
まとめ:歴史の陰に隠された真実
真珠湾攻撃の背景には、英国人パイロット「ラトランド」という人物の存在、そして航空機技術をめぐる様々な人間模様がありました。歴史の教科書には載っていない、知られざる物語に触れることで、私たちはより深く歴史を理解することができます。 ぜひ、この機会に歴史の奥深さを改めて感じてみてください。