早田和泰さん、元山陽放送アナウンサーで、その後フリーとして活躍されていた方が、11月30日に61歳という若さでこの世を去られました。昭和プロダクションからの発表を受け、多くのファンが悲しみに暮れています。この記事では、早田さんの輝かしい経歴と、彼が残した功績を振り返ります。
早田和泰さんのアナウンサー人生を振り返る
早稲田大学第一文学部を卒業後、1989年に山陽放送に入社した早田さん。持ち前の明るいキャラクターと確かなアナウンス技術で、瞬く間に人気アナウンサーとなりました。
テレビでの活躍
山陽放送の看板番組『VOICE21』をはじめ、『RSK5時』『新はやりもんくらぶ』『RSKスポーツai』など、数多くの番組で活躍。お茶の間の人気者として、地元岡山・香川で親しまれてきました。TBSの時代劇『水戸黄門』にもゲスト出演を果たしています。
alt="早田和泰さんが出演した番組VOICE21のロゴ"
ラジオパーソナリティとしての才能
ラジオでもその才能を発揮し、『HITS ISLAND TOP20』や『SUNDAY BEST』などのパーソナリティを担当。洋楽・邦楽問わず幅広い音楽知識を持ち、多くのリスナーを魅了しました。音楽通としても評判で、選曲のセンスにも定評がありました。
スポーツ実況もこなすマルチな才能
スポーツ実況も担当し、高校野球、ジュニアテニス、ゴルフなど、様々な競技でその実力を発揮。1991年には、ラジオドラマ『アナウンサードラマ閑谷の日々』で日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞するなど、アナウンサーとしての実力は折り紙付きでした。
フリーアナウンサーとして関西へ
2006年に山陽放送を退社し、フリーアナウンサーとして関西に拠点を移した早田さん。新たなフィールドでの活躍が期待されていましたが、病魔に侵され、帰らぬ人となりました。
惜しまれる早すぎる死
葬儀は故人の遺志により近親者のみで行われたとのこと。突然の訃報に、関係者やファンからは悲しみの声が上がっています。「早田さんの明るい声がもう聞けないなんて信じられない」「岡山・香川のアナウンサーのレジェンドだった」など、SNS上でも追悼のコメントが多数寄せられています。
早田和泰さんの功績を偲んで
早田和泰さんは、山陽放送時代から、その明るく誠実な人柄と確かなアナウンス技術で多くの人々を魅了しました。彼の温かい声と笑顔は、私たちの心にいつまでも残り続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。