シリアのアサド政権崩壊:50年の恐怖政治、国民の信頼失墜で終焉

シリアで50年以上続いたアサド政権が崩壊。国民の怒りがついに頂点に達し、アサド大統領の追放劇へと繋がりました。本記事では、アサド一族による恐怖政治の歴史、内戦勃発の経緯、そして崩壊に至るまでの軌跡を詳しく解説します。

アサド一族による恐怖政治:権力と暴力の50年

アサド政権の始まりは、1970年のハフェズ・アサドによるクーデターに遡ります。少数派のアラウィ派出身であるハフェズは、同宗派で権力基盤を固め、諜報機関を駆使した国民監視体制を構築。1982年には中部ハマで反体制派を虐殺するなど、恐怖による支配を確立しました。

alt シリアのハフェズ・アサド大統領(1970年代)alt シリアのハフェズ・アサド大統領(1970年代)

ハフェズの後を継いだのが次男のバッシャール・アサド。当初は改革への期待もありましたが、結局は父と同じくバース党による一党独裁体制を維持。形だけの選挙を繰り返しながら、強権支配を続けました。

アラブの春と内戦の勃発:国民の怒りが爆発

2011年、「アラブの春」の波がシリアにも押し寄せ、民主化を求めるデモが各地で発生。しかし、バッシャールはこれを徹底的に弾圧。これが内戦の引き金となり、シリアは泥沼の戦乱へと突入しました。

内戦では、大量殺害、拷問、処刑、さらには化学兵器の使用など、アサド政権による非人道的な行為が繰り返されました。結果として50万人以上の死者、そして2200万人いた人口の約6割が国内外に避難することを余儀なくされました。

alt トルコ在住のシリア人たちがアサド大統領の追放を喜ぶ様子alt トルコ在住のシリア人たちがアサド大統領の追放を喜ぶ様子

深刻な経済危機と麻薬密輸:国民生活を顧みない政権

長引く内戦と国際社会からの制裁により、シリア経済は深刻な危機に陥りました。しかし、アサド一族とその側近は麻薬密輸に関与し、私腹を肥やしていたとの指摘も。国民の生活を顧みず、己の利益のみを追求する政権への不満は日に日に増大していきました。

アサド政権崩壊:民衆の信頼を失った末路

国民の信頼を完全に失ったアサド政権の崩壊は、もはや時間の問題でした。長年にわたる圧政と内戦の惨禍、そして腐敗した体制に対する国民の怒りがついに爆発。アサド大統領の追放という形で、50年以上にわたる恐怖政治は幕を閉じました。

シリアの未来は未だ不透明ですが、アサド政権の崩壊は、国民にとって新たな希望の光となるのでしょうか。今後の動向に注目が集まります。