<反体制派が4日間の攻撃であっさり制圧。「弱者の枢軸」は崩れ、シリアにとって政治情勢の不安定はしばらく続く>
独裁者バシャル・アサド大統領の退陣を求めて、2011年から断続的に続いてきたシリア内戦。首都ダマスカスに次ぐ大都市のアレッポが前回、攻防の焦点になったのは16年のことだ。
このとき、シリア政府軍はロシアとイランの支援を得て、1年以上にわたって空爆と地上軍による攻勢を続け、反体制派の支配地域を包囲することで、ようやくアレッポを制圧した。
あれから8年。新たな攻勢を開始した反体制派は、わずか4日足らずでアレッポとアレッポ県の大部分を奪還した。さらに隣接するイドリブ県のかつての拠点も取り返すと、さらに南進して、ダマスカスにつながる交通の要衝ハマも制圧したとされる(編集部注:その後、12月8日に反体制派が首都ダマスカスの解放を宣言し、アサドはロシアに亡命して政権は崩壊した)。
この間、ロシア軍は地中海の基地から動いていない。また、イランとその代理組織であるレバノンのイスラム主義組織ヒズボラは、反体制派の攻撃で2人の指揮官が殺されるとあっさり撤退を決めた。
アサドは20年に政府軍が(ロシアとイランの支援のおかげで)反体制派をおおむね撃退して以来、名目的に国家元首の座を維持してきた。
ただ、アサドらエリート層がダマスカスやアレッポなどの大都市を支配下に置く一方で、北西部はトルコが支援する反体制派が実効支配し、北東部のクルド人居住地域はアメリカが支援するクルド人組織が自治するなど、国内は著しく分裂していた。
今、アサドは大都市さえも統治できていない。かつて頼りにしていたロシアとイランは、別の戦争で疲弊しており、たとえ名目的でもアサドがトップの座を取り戻す助けになれそうにない。
ロシアとイランは11年のシリア内戦勃発以来、アサド政権に対して、政治、軍事、情報、プロパガンダなど多面的な支援をしてきた。
イランは12年9月からシリア軍を事実上乗っ取り、兵力不足を補う数万人の民兵に訓練を施した。ヒズボラは13年から戦闘員を派遣し、シリアの西隣のレバノンとの国境地帯でアサドの支配を支援した。そしてロシアは15年9月から特殊部隊を派遣するとともに、空爆を実施した。
■アサド政権の大きな虚像
当時、アサド陣営が「勝利」した最大の理由は、国際社会を根負けさせる能力があったからだ。ロシアは偽情報をばらまき、シリア政府軍による化学兵器の使用をごまかしたり、反体制活動家や市民防衛団「ホワイトヘルメット」の評判を傷つけたりした。
アメリカのオバマ政権も、アサドやロシアに翻弄され、無益な停戦協議に注力した。EUは脇に追いやられ、国連は役に立たず、アラブ諸国は何の行動も起こさなかった。
アサド政権は、シリア各地で反体制派が敗退していく様をドラマチックに宣伝した。しかしそれは、自らの弱さを隠す演出にすぎなかった。ロシアとイラン、そしてヒズボラの助けをもってしても、アサドは北西部を完全に奪還できなかったし、北東部のクルド人も排除できなかった。
20年3月にロシアとトルコの仲介で反体制派との間に停戦が成立すると、アサドは「復興」を掲げたが、それもごまかしにすぎなかった。
アサドと側近による長年の泥棒政治は、シリア経済に大きな打撃を与えていた。GDPは2010年からの10年で半分以下に低下した。通貨も、11年は1ドル=47シリアポンドだったのが今は1万3000シリアポンドと暴落している。経済制裁も続いている。
それでもロシアとイランの助けがある間は、アサドも権力者のイメージを維持できた。ところが22年、ロシアがウクライナ侵攻に踏み切った。すぐに征服できるとの読みだったが、3年近くたった今も戦争は続いており、ロシアの軍事資産を食い潰し、ロシア経済を痛めつけている。
一方、イランは近年、女性の権利などをめぐる激しい抗議行動に揺れ、非効率な経済は制裁に苦しんできた。そして軍は、イスラエルとアメリカのピンポイント攻撃で幹部を殺害され、弱体化している。
ヒズボラはここ数カ月のイスラエルの攻撃(ポケベル爆発事件から、最高指導者ハッサン・ナスララなど幹部殺害まで)で、著しく弱体化した。イスラエルと停戦合意を結んだものの、ヒズボラのメンバーへの空爆や地上攻撃の不安は解消できていない。
■カギを握るのはトルコ
だから今回、シリア反体制派が攻勢にでたとき、イランによる武装勢力のネットワーク「抵抗の枢軸」に遭うことはなかった。代わりに判明したのは、アサドの権威失墜だ。
ロシアとイランを頼りにできなくなった今、アサドの命運のカギを握るのはトルコのレジェップ・タイップ・エルドアン大統領かもしれない。
今回の反体制派の攻勢の中心にいるのは、シャーム解放機構(HTS)の指導者モハマド・ジャウラニとされる。エルドアンは彼らのおかげで、シリア北西部におけるトルコの政治的・経済的影響力を一段と拡大する恩恵を得た。
トルコは反体制派の活動を後押ししたり、装備を提供したりすることもできる。ロシアやイランとの協議を前に、反体制派に活動停止を呼びかけることもできるだろう。実際、トルコのハーカン・フィダン外相は、イラン外相を招いて外交努力をアピールした。
だが、エルドアンがシリアで誰よりも目の敵にしているのは、アサドではなくクルド人だ。トルコに拠点を置くシリア反体制派はこれまで、クルド人を中心とするシリア民主軍(SDF)と大きな衝突を起こしておらず、SDFとクルド人当局は、アレッポからシリア北東部に撤退したと報じられている。
トルコはこれを容認するのか。それとも19年のように北東部を攻撃するのか。トルコ政府は、国境からシリア国内に大きく食い込んだエリアを、トルコが支配する「緩衝地帯」に指定するようアサド政権に働きかけているとされる。
ここでアメリカが関わってくる。アメリカはクルド人とSDFに支援を約束しており、当面はその約束を守る可能性が高い。だが、1月にドナルド・トランプ大統領が就任すれば、全てが白紙に戻る。
トランプは1期目の18年末にエルドアンと電話会談をした後、シリアから米軍を全面撤退させようとし、国防総省の大反対に遭って断念した経緯がある。19年10月のエルドアンとの電話会談では、トルコの越境攻撃にゴーサインを出したとされる。
「弱者の枢軸」は崩れ、シリアにとって政治情勢の不安定はしばらく続きそうだ。シリアの人々にしてみれば、今回は前回ほど多くの命を奪わず、大きな破壊をもたらさないことを祈るしかないだろう。
Scott Lucas, Professor of International Politics, Clinton Institute, University College Dublin
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
※この記事は「ニューズウィーク日本版」本誌12月10日発売号に掲載された記事です。
スコット・ルーカス(アイルランド国立大学ダブリン校教授〔国際政治学〕)