世界第二峰K2西壁の最難関ルートに挑戦中、7月に滑落事故で帰らぬ人となった山岳カメラマンでありクライマーの平出和也さん(享年45)と中島健郎さん(享年39)の「お別れの会」が14日、東京都内で開催されました。約1500人が参列し、偉大な二人の足跡を偲び、その挑戦に敬意を表しました。
K2西壁最難ルートへの挑戦、そして悲劇
K2西壁は、8000メートル峰の中でも屈指の難ルートとして知られ、「登山界最後の難題」とも呼ばれています。酸素ボンベを使用し、大人数で物資を大量に投入する「極地法」での登頂記録は存在しますが、平出さんと中島さんが目指したのは、酸素ボンベを持たず、装備を軽量化し、少人数で一気に登頂を目指す、より困難な「アルパインスタイル」での挑戦でした。過去には「世界最強」と称されたポーランドの登山家も4度の挑戦に失敗している、まさに未踏の領域への挑戦でした。
所属する石井スポーツの最終報告によると、二人は7月27日午前7時頃、標高約7550メートルの地点で、氷壁とともに約1200メートル滑落したとされています。ヘリコプターなどによる救助活動も試みられましたが、二次遭難の危険性が高く、家族の同意を得た上で30日に捜索は打ち切られました。
平出和也さん、中島健郎さんの「お別れの会」。K2をバックに撮影された2人の写真が飾られた
登山界のアカデミー賞「ピオレ・ドール賞」受賞
平出さんと中島さんは、遭難後の12月10日、昨年7月に達成したパキスタンのティリチミール北壁(7708メートル)初登攀の功績で、登山界の最高峰ともいえるピオレ・ドール賞を受賞しました。平出さんは日本人最多となる4度目の受賞、中島さんも3度目の受賞という快挙でした。この受賞は、二人の類まれな才能とたゆまぬ努力、そして登山界への多大な貢献を物語っています。
平出さんの妻、尚子さん「明るく楽しく生きていきたい」
関係者向けに行われた「お別れの会」で、平出さんの妻、尚子さんは、幼い娘が「お父さんが天国でもたくさん山に登れるように」と話したことを明かし、「山に登らなければいけないのではなく、これ以上彼の人生を肯定するものはないと思った。彼が生きていたときと同じように、明るく楽しく生きていきたい」と、力強く語りました。
7000メートル級未踏峰への挑戦、その先に見据えていたもの
7000メートル級の未踏壁に新ルートを開拓し続けるクライマーは、世界でもごくわずかです。長野県出身の平出さんは、東海大学在学中にヒマラヤのクーラカンリ東峰(7381メートル)に登頂、その後も国際公募隊に参加し、チョ・オユー(8201メートル)にも登頂を果たしました。しかし、近年の高峰ノーマルルートのように、頂上まで固定ロープが張られている登り方に違和感を抱き、自身のスタイルを確立していきました。
パキスタン・カラコルム山脈のラカポシ南壁を初登し、野に咲く花々で祝福を受けた平出和也さんと中島健郎さん
平出さんと中島さんは、極限の環境で己の限界に挑戦し続けました。二人の挑戦は、登山界に大きな足跡を残し、未来の登山家たちに inspiration を与え続けるでしょう。日本の登山史に名を刻んだ二人の偉大な功績を、私たちは決して忘れません。