1945年、第二次世界大戦終戦直後の旧満州で、岐阜県黒川村(現白川町南東部)からの入植者で構成された「黒川開拓団」の女性たちが、ソ連兵に対する「性接待」という名目で性的暴力を受けました。彼女たちの声と痛みを記録したドキュメンタリー映画『黒川の女たち』が全国で現在もロングラン上映されており、足かけ6年にわたり取材を続けた松原文枝監督が、当事者である女性たちの心の叫びを伝えています。この悲劇は、戦場の地を離れてもなお、帰国後の日本で被害者たちを苦しめ続けました。
黒川開拓団を襲った悲劇:命を守るための「性接待」
黒川開拓団の男性団員の命を守るため、ソ連兵への「性接待」を強いられた女性たち。彼女たちは自らを犠牲にすることで、仲間たちの命を繋ぎました。しかし、日本への帰国後、彼女たちを待っていたのは感謝の言葉ではなく、心ない人々からの激しい誹謗中傷でした。故郷の黒川村で待っていた親族や隣人から非難され、さらに信じがたいことに、命を救ったはずの団員たちからも蔑まれ、「恥」であるかのように扱われたのです。ある当事者の女性が残した手記には、「満州にいる時より帰国してからの方が悲しかった」という痛ましい言葉が記されており、彼女たちが経験した二重の苦しみが浮き彫りになります。
帰国後に待ち受けていた「二重の苦しみ」
戦時中の性的暴力という深いトラウマに加え、帰国後に経験した社会からの差別と偏見は、女性たちの「消えない心の傷」となりました。この差別がどれほど深刻であったかを示す一例が、佐藤ハルエさんの証言です。ハルエさんは故郷での差別により、最終的に住み慣れた場所を追われることになります。
満州での性接待被害を告白した佐藤ハルエさんと、遺族会会長の藤井宏之さん。戦後も続いた差別に苦しんだ女性たちの声に光を当てる映画「黒川の女たち」の上映活動に貢献している。
佐藤ハルエさんの告白と「語られなかった真実」
松原監督によると、1995年に地元紙の記者が佐藤ハルエさんを取材したことがあります。取材は岐阜県郡上市の「ひるがの開拓地」に入植した開拓者たちへの聞き取りが主旨で、ハルエさんだけが鉄路で100キロ以上離れた黒川村から嫁いできた珍しい存在でした。記者がその理由を問うと、ハルエさんは「地元で差別を受けてここに嫁いできた」と告白し、満州での「性接待」を強いられた事実を打ち明けたのです。そして、その真実を記事にしてほしいと懇願しましたが、当時の新聞社の内部事情により、その声が日の目を見ることはありませんでした。彼女の告白は、長らく公に語られることのなかった歴史の断片であり、生存者たちが抱え続けた苦悩と、それが社会からどのように扱われてきたかを物語っています。
この歴史の悲劇は、単なる過去の出来事ではなく、現代社会においても人権や差別の問題として深く考えるべきテーマです。映画『黒川の女たち』は、沈黙させられてきた女性たちの声に耳を傾け、その尊厳と真実を取り戻すための重要な一歩となっています。彼女たちの経験が、次世代に正確に伝えられ、二度と同じ過ちが繰り返されないための教訓となることを願うばかりです。