千葉県房総半島の山奥にひっそりと佇む、奇妙な素掘りトンネル。直角に曲がり、内部には分岐まであるその異様な構造は、一体誰が、何のために作ったのか?まるでRPGのダンジョンを思わせるそのトンネルに、再び足を踏み入れてみました。
地元住民に伝わる「山王様」への道
地元で長年暮らす佐藤利則さん(74歳、仮名)によると、トンネルの先にあるお社は「山王様(山王神社)」と呼ばれ、地元住民の信仰の対象となっているとのこと。かつては集落内の八雲神社からお神輿を担いで山王様までお祭りを行っていたそうですが、昭和30年に三島ダムが完成し、ダム湖ができて川を渡れなくなったといいます。
alt=房総半島の山中にひっそりと佇む素掘りトンネルの入り口。苔むした岩肌と生い茂る緑が神秘的な雰囲気を醸し出している。
ダム建設とトンネルの不思議な関係
三島ダムの完成により、お神輿を担いで山王様へ行くことはできなくなりましたが、参拝自体は続けられています。そこで生まれたのが、問題のトンネルです。ダム湖によって分断された山王様へのアクセスを確保するために、トンネル内部に分岐路が作られたというのです。佐藤さんによると、現在でも月に一度、地元住民が交代でトンネルの清掃を行っているそうです。
住民の手によって掘られた?驚きの可能性
さらに驚くべきことに、佐藤さんは「ダムができる前からトンネルがあったと思う」と証言しています。これは一体どういうことでしょうか?調査を進めてみると、梅ノ木台2号隧道と呼ばれるこのトンネルは、昭和20年に建設されたという記録が見つかりました。三島ダムの完成が昭和30年ですから、確かに10年も前にトンネルは存在していたことになります。
alt=トンネル内部の様子。直角に曲がった通路や分岐路など、通常のトンネルとは異なる構造が目を引く。
千葉県の資料によれば、三島ダムの建設は昭和18年に開始されました。戦争の影響で工事は一時中断されましたが、12年の歳月を経て完成に至っています。ダム建設に伴う道路の付け替え工事は、通常、着工後早い段階で行われることが多いことから、トンネルの建設時期とダムの完成時期のずれは説明がつきます。
しかし、佐藤さんの話にはさらに気になる点がありました。それは、このトンネルが、もしかしたら地元住民の手によって掘られたのではないかというものです。確かに、通常の土木工事では考えられないような奇妙な構造をしています。ダムの付替道路としては、あまりにも不自然です。もしかしたら、トンネル本体はダムの関連工事として建設されたものの、山王様への分岐路は、住民たちの手によって後から掘られたのかもしれません。
謎に包まれたトンネル、その真実は?
数々の謎に満ちた房総半島の素掘りトンネル。その奇妙な構造は、ダム建設の歴史と地元住民の信仰が複雑に絡み合って生まれたものなのかもしれません。真実はまだ闇の中ですが、このトンネルの存在は、地域の文化と歴史を紐解く上で貴重な手がかりとなるはずです。
あなたも探検してみませんか?
房総半島を訪れる機会があれば、ぜひこの不思議なトンネルを探検してみてください。歴史のロマンと自然の神秘に触れる、特別な体験となることでしょう。この記事を読んで、少しでも興味を持っていただけたら幸いです。ぜひ、コメント欄で感想やご意見をお聞かせください。また、SNSでシェアして、周りの方にもこの魅力を伝えていただけると嬉しいです。jp24h.comでは、他にも様々な情報を発信していますので、ぜひ他の記事もご覧ください。