読売新聞グループ本社代表取締役主筆、渡辺恒雄氏が12月19日に逝去されました。その功績は日本国内にとどまらず、世界中の要人との深い交流を通して国際社会にも大きな影響を与えました。本稿では、キッシンジャー氏や鄧小平氏をはじめとする要人との知られざるエピソードと共に、渡辺氏の国際的な足跡を振り返ります。
キッシンジャー氏との知的な邂逅
渡辺氏は1988年7月、来日中のヘンリー・キッシンジャー元米国務長官と東京・大手町で会談を行いました。東西冷戦の終結を予感させるソ連の西側諸国への接近、不安定な北朝鮮情勢、そして巨大な経済力を持ち始めた中国の動向など、世界情勢を揺るがす重要課題について、両者は白熱した議論を交わしました。その後も91年のキッシンジャー氏来日時に会談を重ね、国際情勢に関する意見交換を深めました。
渡辺氏とキッシンジャー氏の握手
鄧小平氏との歴史的会談
1980年3月、渡辺氏は北京を訪問し、鄧小平副首相(当時)と会談を行いました。この会談で鄧氏は、ソ連のアフガニスタン侵攻を強く非難し、「ソ連が覇権主義を捨てない限り、中国との関係改善はあり得ない」と断言しました。この発言は国際社会に大きな衝撃を与え、冷戦後の世界秩序を占う上で重要な意味を持つものとなりました。
各国メディアトップからの追悼メッセージ
渡辺氏の訃報を受け、世界各国のメディアトップからも追悼メッセージが寄せられました。韓国日報の承明鎬会長は、「日本最高のオピニオンリーダーとして、日本の発展はもちろん、アジアの平和と繁栄に多大な貢献をされた」と称賛。ロイターのポール・バスコバート社長は、渡辺氏のメディア業界への長年の貢献に敬意を表しました。ダウ・ジョーンズ社のアルマー・ラトゥールCEO、AP通信のデイジー・ビーラシンハム社長も、深い哀悼の意を表しています。
渡辺氏と三浦知良選手、設楽りさ子さん
新聞記者としての生涯
ウォール・ストリート・ジャーナル東京支局長などを歴任したピーター・ランダース氏は、自身のX(旧ツイッター)で、「渡辺氏は亡くなる数日前まで社説のチェックを行っていた。まさに生涯現役の新聞記者だった」と投稿しました。渡辺氏の新聞への情熱、そして言論人としての強い意志は、多くの人々に感銘を与え続けています。
渡辺氏の遺した功績
渡辺恒雄氏の逝去は、日本のみならず世界にとって大きな損失です。国際的な舞台で活躍し、数々の要人と交流を重ねた渡辺氏の経験と知見は、今後の国際社会においても貴重な財産となるでしょう。 その功績を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。