尹大統領の出頭拒否と全斗煥元大統領逮捕劇:歴史は繰り返すのか?

韓国政界を揺るがす尹錫悦大統領の出頭拒否。12・3内乱事態の主犯格として捜査対象となっている尹大統領は、共助捜査本部(共助本)からの2度目の出頭要請にも応じず、検察・警察を含めると4度目の拒否となる。この事態は、過去の全斗煥元大統領の逮捕劇を彷彿とさせ、国民の間に波紋を広げている。

過去の逮捕劇:全斗煥元大統領の場合

1995年12月3日、12・12軍事反乱および5・18光州抗争事件の容疑者として出頭を命じられていた全斗煥元大統領は、検察の捜査と金泳三大統領を非難する記者会見後、故郷へと逃亡。検察は盧泰愚元大統領の供述を元に事前拘束令状を請求し、裁判所は同日午後5時に令状を発行した。

全斗煥元大統領の逮捕劇全斗煥元大統領の逮捕劇

検察は9人の捜査官を陜川に派遣、慶南警察庁からは800人あまりの私服警官が動員された。一部住民の抵抗もあったが、捜査官は全元大統領を寝ているところを連行。下着姿での逮捕劇は、メディアの注目を集め、護送車に歓声をあげる市民の姿も見られた。逮捕から4時間後、全元大統領は安養刑務所に収監された。

各党の反応と国民の力

当時の与党・民主自由党は全元大統領の逮捕を歓迎。「憲政秩序を破壊し、民主主義を蹂躙しておいても、歴史と国民を恐れない傲慢な態度が招いた自業自得」とソン・ハッキュ報道担当は述べた。これは、現在の「国民の力」(民自党の後身)が尹大統領をかばう姿勢とは対照的だ。一方、全氏の支持者たちは明け方の連行を「元大統領への行き過ぎた仕打ち」と批判した。

尹大統領の今後:歴史の教訓

当時のソウル地検特別捜査本部の関係者は、ハンギョレ新聞の取材に対し「この問題で数日間世の中が騒々しくなるよりも、早く終えた方がよいと判断した」と語っている。29年前の検察の判断は、現在の共助本にとって重要な教訓となるだろう。

繰り返される歴史?

尹大統領の出頭拒否は、権力者による法の軽視とも捉えられかねない。全斗煥元大統領の逮捕劇は、権力者といえども法の上に立つことはできないという重要なメッセージを社会に発信した。

現代社会への警鐘

過去の出来事を振り返ることで、私たちは民主主義の脆さを改めて認識する必要がある。権力の濫用を防ぎ、法の支配を確立するためには、国民一人一人が社会の動向に目を向け、声を上げる勇気を持つことが重要だ。尹大統領の今後の対応、そして共助本の捜査の行方から目が離せない。