長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」の共同館主に就任した内田也哉子さん。48歳という人生の折り返し地点に立ち、新たな挑戦へと踏み出した彼女の原動力となったのは、母・樹木希林さんの言葉でした。「残りの人生、誰かの役に立つことを、見つけられるといいね」——この言葉に背中を押され、半年間の熟考を経て、大重責を担う決意をした也哉子さん。本記事では、樹木希林さん、内田裕也さんという偉大な両親、そして夫・本木雅弘さん、子供たちとの関係性を通して、彼女が受け継いできたもの、そして未来への展望を探ります。
無言館との出会い、そして共同館主への就任
2022年4月、也哉子さんは無言館を訪れました。当時、母・樹木希林さんの逝去から3年。也哉子さんは、希林さんの言葉の重みに向き合いながら、自身の道を模索していました。その中で出会った無言館は、也哉子さんにとって大きな転機となる場所でした。
内田也哉子さんと窪島誠一郎さん
2年後、也哉子さんは無言館の共同館主に就任。就任会見では、希林さんの「残りの人生、誰かの役に立つことを、見つけられるといいね」という言葉が、自身の決断を後押ししたことを明かしました。無言館の活動を通して、亡くなった画学生たちの想いを未来へと繋ぎ、平和へのメッセージを伝えていくという使命感に共鳴したのです。
樹木希林さん、内田裕也さんという偉大な両親の存在
也哉子さんは、俳優・樹木希林さんとロックミュージシャン・内田裕也さんという、個性豊かな両親のもとで育ちました。型破りながらも愛情深い両親の姿は、也哉子さんにとって大きな影響を与え、独自の感性と価値観を育む土壌となりました。
母・樹木希林さんの教え
常に自然体で、飾らない生き方を貫いた希林さん。その言葉は、時に厳しく、時に優しく、也哉子さんの人生の指針となってきました。特に晩年の「誰かの役に立つことを」という言葉は、也哉子さんの心に深く刻まれ、無言館の共同館主就任という決断にも繋がっています。
父・内田裕也さんの影響
ロックンロールを体現するような、エキセントリックな生き方の内田裕也さん。その自由奔放な精神は、也哉子さんの創造性を刺激し、表現者としての道を歩む上で大きな支えとなりました。
俳優・本木雅弘さんとの結婚、そして子育て
19歳で俳優・本木雅弘さんと結婚した也哉子さん。2男1女の母として、家庭と仕事を両立させながら、自分らしい生き方を模索してきました。
内田家の家族写真
子育てを通して、也哉子さんは両親から受け継いだ愛情の深さを実感し、子供たちの成長を温かく見守っています。そして、家族の支えは、也哉子さんが新たな挑戦へと踏み出す勇気を与えてくれています。
無言館での活動、そして未来への展望
無言館共同館主として、也哉子さんは、亡くなった画学生たちの作品を守り、彼らの想いを未来へと繋いでいくという重要な役割を担っています。
「無言館『海よ哭け』コンサート」での窪島誠一郎さんとの対談では、緊張しながらも、真摯な姿勢で未来への決意を語りました。
也哉子さんの活動は、単なる美術館の運営にとどまらず、平和へのメッセージを伝える、社会的な意義も持ちます。そして、それは、希林さんの「誰かの役に立つことを」という言葉を実現する、也哉子さん自身の未来への展望でもあるのです。
終わりに
内田也哉子さんは、偉大な両親の背中を見ながら、自分らしい道を歩み続けています。無言館共同館主就任という新たな挑戦は、彼女の人生における大きな転換点となるでしょう。也哉子さんの今後の活動に、大きな期待が寄せられています。