自民、公明両党が平成11年10月に連立政権を組んでから5日で20年を迎えた。非自民勢力から与党に転じた公明は自民との協議を通じ安全保障などで妥協した一方、低所得者ら弱者のニーズをつかみ政策を実行してきた。(清宮真一)
「安定的な議席を選挙協力で確保し、幅広い国民の声を受け止め、合意にして実行する。確かな与党としての経験を積んできた」
公明の山口那津男代表は4日の党会合でこう連立の意義を強調した。公明が連立に加わった契機は10年参院選での自民の惨敗だった。小渕恵三首相は国会の多数派形成のため公明に協力を要請した。
公明も政治の安定を重視し、「反自民」路線から転換した。党代表だった神崎武法常任顧問は「当初は閣外協力を考えていたが、小渕氏から閣内での協力を強く求められた」と明かす。11年1月に自民、自由両党が連立を組んだ後、同年10月に自自公連立が発足。15年11月以降は2党の連立が続き、野党に転落した21~24年も連携を維持した。
宗教団体の創価学会を支持母体とする公明にとって選挙の勝利は政策実行の上で「絶対的使命」(党関係者)といえる。森喜朗首相の「神の国」発言などで13年に政権が失速すると、直後の参院選への影響を懸念し「森おろし」に動いた。神崎氏は語る。
「選挙で負けて政治が不安定になったら、何のための連立かとなる。森氏が辞めなければ、こちらが辞めるしかないと思っていた」