スペースワールド、愛称「スペワ」。福岡県北九州市を代表するテーマパークとして27年間親しまれてきたこの遊園地は、2017年12月31日にその歴史に幕を閉じました。閉園の直接的なきっかけは、5000匹の魚を氷漬けにしたスケートリンク「氷の水族館」が物議を醸し、ネット上で大炎上した「魚リンク騒動」でした。この記事では、魚リンク騒動の顛末から閉園までのスペワの軌跡、そして人々の記憶に残るその魅力を改めて振り返ります。
魚リンク騒動:奇抜な企画の裏にあった企業努力と炎上
2016年冬、スペワは集客増加を目指し、「氷の水族館」と銘打ったスケートリンクをオープンしました。約5000匹の魚を氷漬けにしたこのリンクは、「食べ物で遊ぶな」「命を軽視している」といった批判が殺到し、大きな波紋を呼びました。
当時の総支配人、竹田敏美氏は、「スケートリンクを海のようにして楽しんでほしい」という発想からこの企画が生まれたと語っています。実は、開園当初は「宇宙」をテーマにしていたスペワですが、経営状況の悪化に伴い、近年は奇抜な企画で集客を図るようになっていました。「英会話教材を聴きながら絶叫できるジェットコースター」や「イケメン監視員」の配置など、その試みは多岐に渡っていました。2016年のスローガンはなんと「アホはじめます」。魚リンクも、こうした「アホ」路線の目玉企画として打ち出されたものでした。
altスペースワールドのシンボル、実物大スペースシャトル模型と閉園日の様子。多くの人々が別れを惜しみました。
しかし、善意から始まった企画は、結果的に大きな批判を浴びることになりました。食品ロス問題への意識の高まりや、動物愛護の観点からの批判など、様々な意見が飛び交い、スペワは対応に追われることとなりました。最終的にリンクは閉鎖され、魚は供養されました。この騒動は、企業の企画における倫理観や社会への配慮の重要性を改めて問うものとなりました。
閉園までの1年:惜しまれる声と未来への希望
魚リンク騒動の後、スペワは閉園を発表しました。しかし、そこから閉園までの約1年間は、スペワにとって忘れられない日々となりました。存続を求める署名活動、自虐的なCM、跡地の利用問題、遊具の移転、シンボルだったスペースシャトル模型の行方など、様々な話題が世間を賑わせました。
alt炎上した「氷の水族館」。魚はその後、適切に供養されました。
特に、スペースシャトル模型の移転先は大きな注目を集めました。最終的に、鹿児島県にあるテーマパーク「スペースワールド駅」に移設されることが決定し、多くのファンを安堵させました。
これらの出来事は、27年間地域に愛され続けたスペワの歴史と、人々の深い愛情を改めて示すものでした。閉園は悲しい出来事でしたが、スペワの記憶は人々の心の中で生き続け、新たな形で未来へと繋がっていくことでしょう。
スペワの思い出:地域に愛されたテーマパーク
スペワは、宇宙をテーマにしたアトラクションやイベントで、子供から大人まで多くの人々を楽しませてきました。魚リンク騒動は unfortunate な出来事でしたが、それ以前のスペワの歴史は輝かしいものでした。宇宙飛行士訓練体験やプラネタリウム、ジェットコースターなど、ここでしか味わえない体験が、多くの来場者を魅了しました。
閉園から数年が経ちましたが、今でもスペワを懐かしむ声は多く聞かれます。地域に根ざしたテーマパークとして、スペワは人々の心に深く刻まれているのです。
スペワの物語は、企業の栄枯盛衰や社会の変化を映し出す鏡とも言えるでしょう。そして、その記憶は、未来への教訓として、私たちに大切なことを語りかけてくれるはずです。