2024年1月2日、羽田空港で発生した航空機衝突事故。乗客乗員379名全員が生還した奇跡の裏には、迅速かつ緻密な航空機撤去作業がありました。今回は、その撤去作業を担った豊富産業グループの活躍に焦点を当て、事故発生から1年後の今、改めて当時の状況を振り返ります。
繰り返された「奇跡」:迅速な撤去作業開始の経緯
事故発生翌朝、総合リサイクル会社「豊富産業グループ」(富山県)東京支店長、山川秀宏氏(67)の元に、日本航空(JAL)整備担当者から一本の電話が入りました。「撤去作業をお願いできないでしょうか」。滑走路で燃え上がる機体の衝撃的な光景をニュースで目の当たりにした社員たちは、「何か役に立ちたい」という一心で、正月休み返上で作業に臨むことを決意。熟練重機オペレーターの望月透氏(61)をはじめとする10名の精鋭部隊が富山から羽田へと向かいました。
焼け焦げた日航機と撤去作業の様子
豊富産業グループは、2014年に航空機リサイクル協会に加盟し、小型機や自衛隊輸送機で実績を積んできました。2022年には、国内初となる大型旅客機2機の解体・リサイクルに成功。今回のJAL機の撤去作業においても、その経験と技術が遺憾なく発揮されることとなりました。
困難を極めた現場:前例のない撤去作業への挑戦
5日朝、焼け焦げた機体が横たわる滑走路脇の草地。山川氏は、367名の乗客全員が脱出できた「奇跡」を改めて実感し、作業への決意を新たにしました。運輸安全委員会の調査と並行して行われた解体・運搬作業は、格納庫内での作業とは全く異なる困難を伴いました。
豊富産業グループ東京支店長 山川秀宏氏
特に、1基10トンを超える巨大なジェットエンジン2基の運搬は難題でした。専用の輸送車両がない中、重機でつり上げてトレーラーに載せ、富山から持ち込んだ角材で固定するという方法を考案。最終便の飛行が終わる午前2時過ぎ、慎重に数キロ先の格納庫まで運搬しました。航空機整備の専門家、山田一郎氏(仮名)は、「限られた時間と資源の中で、迅速かつ安全にエンジンを運搬した彼らの技術力は賞賛に値する」と語っています。
細部まで徹底:小さな破片も見逃さない
3日間にわたる撤去作業の最終日、7日の午後には、JAL社員も含む100名以上が総出で、滑走路に残された小さな破片を一つ一つ丁寧に拾い集めました。航空機の安全運航を支える多くの関係者の尽力と、細部まで徹底した作業によって、羽田空港の早期再開に大きく貢献しました。
空港運営を支える「縁の下の力持ち」
操縦資格を持つ山川氏は、「今回の経験を通して、空港の運営、航空安全が多くの『縁の下の力持ち』によって支えられていることを改めて実感した」と振り返ります。航空機事故という未曾有の事態において、迅速かつ的確な対応で「奇跡」を支えた豊富産業グループ。彼らのプロフェッショナルな仕事は、日本の航空業界の安全と信頼性を支える重要な役割を担っていると言えるでしょう。
この事故を風化させることなく、教訓として未来へ繋いでいくことが重要です。そして、改めて航空業界に関わる全ての人々の努力と貢献に感謝の意を表したいと思います。