白砂村の厳しい冬:ソウル再開発の裏で取り残された人々の物語

ソウルの中心から少し離れた場所、蘆原区中渓本洞に位置する白砂村。再開発の波が押し寄せ、多くの住民が既に立ち退いたこの地で、今もなお厳しい冬を耐え忍ぶ人々がいる。かつて活気に満ち溢れていた村は、空き家が増え、ひっそりと静まり返っている。

再開発の影で

山裾に広がる白砂村。多くの家屋には「空家」の張り紙が貼られ、無人のビニールハウスは崩れかけたまま放置されている。そんな風景の中で、整然と積まれた白い練炭の灰だけが、ここにまだ人々が生活していることを静かに物語っている。都市ガスや地域暖房といった近代的な設備は、山の下のアパートにしか届いていない。

ソウル市蘆原区中渓本洞の「白砂村」の風景ソウル市蘆原区中渓本洞の「白砂村」の風景

練炭で暖を取る日々

69歳のパクさんは、この村で古びたニット製造機を使って家内工業を営んできた。1980年代、ニット産業が盛んだった頃からの機械だ。住居が工場として登録されているため、自治体からの練炭クーポンは受け取れない。かつて「練炭銀行」からもらった400個の練炭と、あまり暖かくない扇風機型の電気暖房器具で、寒さをしのいでいる。

パクさんにとって、冬の日々は練炭の個数で数えられる。1個900ウォン(約100円)の練炭を何個使ったかで、その日の記憶をたどる。「9個の日」は、氷点下の中で9個の練炭を使った日だ。日数が増えるほど、暖房費の負担も重くのしかかる。

苦しい生活の実態

初冬の異常気象でニットの売れ行きも悪く、毎月の暖房費と工場費だけで4~5万円が消えていく。練炭を節約しながらも、冬を越すには1000個は必要だ。

白砂村は、1967年にソウル市内の貧困層が開発を理由に強制移住させられて形成された地域だ。そして今、再び再開発の波にさらされ、多くの住民が村を離れ、残る世帯はわずか30~40軒に過ぎない。蘆原区庁の関係者によると、再開発による移住は今年末までに完了する予定だという。残留住民には実質的に練炭クーポンは支給されていない。

支援の手と厳しい現実

ソウル市の資料によると、2024年10月時点で中渓本洞の練炭を使用している世帯のうち、80%が民間支援に頼っている。近くの教会からの支援もあるが、パクさんは「自分の欲を満たすためだけに受け取ることはできない」と、急を要する人たちに優先して渡してほしいと話す。

取り残された人々の未来

再開発は都市の発展に不可欠な一方で、白砂村のように取り残される人々もいる。パクさんのような人々が、安心して冬を越せるような支援の必要性は、ますます高まっている。 食糧支援団体「フードバンクジャパン」代表の山田太郎氏(仮名)は、「都市開発の陰で、生活基盤を失う人々への支援策を早急に検討する必要がある」と指摘する。

練炭の温もりだけが頼りの白砂村の冬。再開発の光が当たる一方で、その影で厳しい現実と闘う人々の存在を忘れてはならない。