極寒アラスカ、雪洞で生き抜く:登山家・栗秋正寿の壮絶な挑戦

雪と氷に閉ざされたアラスカの山中で、登山家・栗秋正寿は雪洞の中から外の世界を覗き込みました。そこはまるで戦場。猛烈な風が吹き荒れ、巨大な氷塊が飛び交う極限の世界が広がっていました。今回は、栗秋氏の壮絶なアラスカ登山の一部始終を、彼の経験に基づいてご紹介します。

雪洞:極限環境での唯一のシェルター

alt アラスカの雪山で、雪洞の入り口から外を覗き込む栗秋正寿氏。雪洞は極寒の環境下で唯一のシェルターとなるalt アラスカの雪山で、雪洞の入り口から外を覗き込む栗秋正寿氏。雪洞は極寒の環境下で唯一のシェルターとなる

雪洞とは、雪面を掘って作るシェルター。文字通り雪の洞窟です。外は氷点下40℃、風速50m超の極限環境でも、雪洞内は驚くほど静かで平和。数メートルの雪の壁が、生死を分ける防壁となるのです。 時折、爆発のような轟音が響き渡ります。雪崩かと思いきや、巨大な氷塊が衝突する音、あるいは猛烈な風がぶつかり合う音でした。まるで銃弾が飛び交う戦場の最前線。一歩外に出れば、生きては帰れない。そんな場所に、たった一人で塹壕を掘って身を潜めているような心境だったと、栗秋氏は語ります。

たった一人の戦場:アラスカの冬

2014年3月11日、41歳だった栗秋氏は、アラスカのハンター山(標高4442m)の3100m地点にいました。アラスカは、最高峰デナリでも標高6190mとヒマラヤよりも低いものの、北極圏に近い高緯度のため、気象条件はヒマラヤよりもはるかに過酷です。特に冬は最悪で、栗秋氏が経験した極低温と暴風は日常茶飯事。気温は-50℃、風速は70mを超えることもあるといいます。冒険家の植村直己氏がデナリで遭難したのも2月でした。

冬のアラスカに挑む登山家

栗秋氏は、世界の登山家が敬遠する「冬期アラスカ」のスペシャリスト。2014年当時ですでに14回の冬期単独登山を経験し、デナリとフォーレイカー(標高5304m)の冬期単独登頂も達成。フォーレイカーの冬期単独登頂は世界初の快挙でした。

「日本のトナカイ」と呼ばれる所以

アラスカの厳しい冬山で、たった一人で雪洞を掘り、数日間を過ごす栗秋氏の忍耐力は、現地の人々から「日本のトナカイ」と畏怖されています。過酷な環境下でのサバイバル能力は、まさに「トナカイ」のように強く、たくましい。

命懸けの挑戦:わずかなミスが命取りに

「何か一つアクシデントがあれば終わり」。栗秋氏は、アラスカ登山をそう表現します。半径80km圏内に人影はなく、助けを呼ぶこともできません。まさに命をかけた孤独な戦い。極限の環境で、己の精神力と体力、そして経験だけが頼りとなるのです。

その過酷な環境下で、栗秋氏はどのように生き抜いたのか? 次回の記事では、雪洞生活の実際や、使用した装備、そして生き残るための知恵について詳しくご紹介します。