2025年大河ドラマ『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎は、遊廓で栄えた街として有名な吉原で生まれました。吉原遊廓では、華やかな遊女たちが手招き、夜も眠らない「不夜城」と呼ばれていました。
【写真】江戸時代の「遊廓」で大切にされていた「遊女」と客の恋愛だけじゃない関係
はたして、日本人にとって「遊廓」とは何だったのでしょうか。『遊廓と日本人』の著者・田中優子さんが、「あってはならない悪所」遊廓の世界をわかりやすく解説します。
客と別れるための作戦
遊女は、ばかにされたらひっこまない、という強さも必要でした。
客が他の遊女に惹かれた時は、ちゃんと理由を言って遊女の名誉を傷つけることなくきれいに別れる必要がありました。
しかし時にはその遊女の欠点を探し(なかなか見つかりませんが)、それを理由に別れる客がいます。それを「口舌(くぜつ)」と言い、卑怯なやり方です。遊女は自力で自分の名誉を守らなくてはなりません。
吉田という遊女は、ある客が口舌で別れようとしていることを見抜き、方法を考えました。吉田が座敷を出たところでおならの音がしたので、「これぞいい機会!」と客は喜びます。別れる理由にしようとしたのです。
男女の友情は可能
しかし彼女が同じ廊下を歩いて帰って来た時、ふと立ち止まって迂回して座敷を回りました。客は「あれ?」と思います。さっきのは廊下のきしみだったのだろうか?
吉田は判断に困っている客に、「今日かぎり愛想がつきました」と自分から別れ話を切り出します。その噂は遊廓中に広まって客の方が面目を失ったのです。決着がついた後、吉田は「いかにも(おならの)こき手はこの太夫じゃ」と言い放ったのでした。
遊女は、誰にでも惚れているふりをするわけではありません。小太夫という遊女は客から、「惚れているという誓紙を書け」と言われましたが、言うとおりにしませんでした。
「あなたはたいへん良くしてくださるのですが、どういうわけか私はさほどに思えないのです。嘘をつくわけにいきません。惚れていない、という誓紙なら書きましょう」と言ったそうです。その後も2人はとてもいい関係が続きました。
やがてその客が遊廓通いはもうやめにする、という時、小太夫はその男性の紋を付けた着物を10枚作らせて贈り、遊女になった時から今日までのことを書きつづった「我が身の上」という文章を彼に捧げたのです。
男として好きになれなくとも、嘘をつかず、世話になった恩は忘れず、長いあいだ別れの時の準備を怠らなかったのです。遊女と客の関係でも、男女の友情は可能だったのです。
さらにこちらの記事<「高額の借金返済」に「梅毒のリスク」…遊廓が「二度と出現してはいけない悪所」だと言える「ヤバすぎる真実」>では、「あってはならない悪所」遊廓の魅力と「知られざる真実」をわかりやすく解説します。ぜひお読みください。
田中 優子