日大の「学祖」と吉田松陰の知られざる“奇縁” 西郷から「用兵の天才」と賞賛された維新の志士


日本大学の「学祖」山田顕義の教育指針

 学校法人日本大学は1889(明治22)年10月、「日本法律学校」として創立された。いわゆる旧制の専門学校である。ときの司法大臣である山田顕義が大学創立を推し進め、山田は日大の学祖に位置付けられる。

 明治時代における日本の私立大学の起こりといえば、誰もが早稲田の大隈重信や慶應義塾の福澤諭吉を思い浮かべるに違いない。

 かたや、日大も明治維新後の文部行政によって誕生した私学である。わけても学祖の山田と明治維新の理論的支柱である吉田松陰との奇縁については、あまり知られていないのではなかろうか。

 日大HP(ホームページ)から山田の生い立ちを紐解くと、幕末から明治にかけた長州藩の兵学が山田の考えの根底にあることがうかがえる。長州藩における師弟関係が、山田の人物形成に大きく影響している。



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