「見た瞬間に日本は負けると思った」「顔面蒼白でした」…血の気が引いた「硫黄島の実態」


民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。

【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

僕は硫黄島関連の取材をする際、いつもそうしているように、学徒兵だった西進次郎さんにまず祖父のことを話した。北海道のローカル紙の記者がなぜ、2000キロ南方の硫黄島の取材をしているのか、不思議に思う人が多いからだ。当然のことだと思う。西さんが硫黄島にいたころ、祖父は同じ小笠原諸島にいたこと、硫黄島の歴史の風化に抗う取材を続けることを天国の祖父や父は喜んでくれるだろうと僕が考えていること、などを伝えた。西さんは僕の思いを受け止めてくれた。

その上で、早速、取材の日時、場所についての相談に入った。前月のクリスマスのとき、僕は例年と違って自分自身へのプレゼントを買わなかった。その分、硫黄島の取材のために使いたいと妻に伝えていた。鹿児島への旅費は、妻が想定するプレゼント代よりも格段に大きい金額になるだろうが、妻は認めてくれた。長年、元硫黄島兵士の取材を模索しながらも実現できず、残念がっていたことを知っているからだと思った。

西さんは、父島の元兵士の孫である新聞記者と直接話をしたい、と望んでくれたが、実現は難しいようだった。この時期は新型コロナウイルスの流行が深刻化していた。西さんが入居する高齢者施設は、来訪者とガラス越しにしか面談できないルールになっていた。西さんは以前、親族とガラス越しに会った際、親族の声を聞き取れず、ほとんど会話できなかったとのことだった。

では、コロナ禍が収束して「窓越しルール」が撤廃されるまで、電話でお話しできますか、と僕は提案した。西さんは応じてくれた。

西さんは、僕の話にあいづちを打つとき「はい」ではなく「はっ」と歯切れの良い声を発することが多かった。それが癖なのかどうかは分からなかった。声の主は間違いなく高齢者だが、「はっ」という返事はまるで現役の兵士のように思えた。そう思ってから、僕は硫黄島の学徒兵と時空を超えて電話で会話しているような感覚になった。電話の向こうにいるのは、鹿児島県在住の西進次郎さんではなく、硫黄島の西進次郎陸軍伍長だった。

こうして電話取材が始まったのだ。インタビューは9回、計10時間に及んだ。



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