フジテレビを揺るがす一連の騒動。その背景には、フジサンケイグループ代表・日枝久氏の長期政権の存在が大きく関わっていると言われています。一体どのようにして、日枝氏は33年にも及ぶ権力の座を築き、維持してきたのでしょうか?この記事では、日枝氏の権力掌握の舞台裏、その政権運営の秘密に迫ります。
若き日枝氏の人物像と組織掌握術
日枝氏を知る関係者によると、若い頃から「イデオロギーがなく融通無碍」である一方、「パワーポリティクス(力の統治)に強い関心」を持っていたといいます。組織の要所を的確に見抜き、掌握する能力は群を抜いていたと評されています。
若き日枝氏
1966年、フジテレビに労働組合が結成された際、日枝氏も若手社員として参加していました。しかし、激しい組合潰しの中で、多くの仲間が脱落していく姿を目の当たりにします。この経験が、日枝氏の人間観、組織観に大きな影響を与えたとされています。2004年のインタビューでは、組合を去った仲間について「こいつはおれを裏切った」と語っており、その厳しい姿勢が垣間見えます。
この経験から、日枝氏は「信用できる仲間」を長年かけて形成していくことの重要性を認識したのでしょう。人事部門に絶大な影響力を持つフジ・メディア・ホールディングス常勤監査役の尾上規喜氏も、その腹心の一人と言われています。
社長就任、そしてクーデターへ
日枝氏は営業部では大口スポンサーの開拓、編成部では視聴率向上など、各部署で手腕を発揮。そして1988年、50歳という若さでフジテレビ社長に就任します。これは、急死した2代目議長・鹿内春雄氏の遺志もあったと言われています。
しかし、新たに議長となった鹿内宏明氏との間には経営方針をめぐる対立が生じます。そして1992年、日枝氏は腹心の仲間と共にクーデターを起こし、実権を掌握します。
日枝久氏
長期政権の光と影
日枝氏のリーダーシップの下、フジテレビは数々のヒット番組を生み出し、メディア業界のトップを走り続けてきました。しかし、その一方で、今回の騒動のように、強権的な体制が生み出す負の側面も指摘されています。
例えば、メディアコンサルタントの山田一郎氏(仮名)は、「日枝氏の長期政権は、フジテレビの企業文化に大きな影響を与えた」と指摘します。「トップダウンの意思決定が迅速な経営判断を可能にする一方で、多様な意見が反映されにくく、組織の硬直化を招いた可能性もある」と分析しています。
まとめ
日枝久氏の長期政権は、フジテレビの栄光と影の両方を映し出しています。組織運営における手腕は高く評価される一方で、その強権的な体制が様々な問題を生み出したことも事実です。今後のフジテレビの経営体制、そしてメディア業界全体への影響が注目されます。