辻潤:働かなくても生き抜く!?天才ダダイストの型破りな処世術

人生100年時代と言われる現代。物価上昇、老後資金、住宅ローン、教育費など、お金の悩みは尽きません。誰もが懸命に働き、生活を支えている中、歴史に名を残す偉人たちもまた、お金の問題に悩まされてきました。今回は、型破りな生き方で知られるダダイスト、辻潤の処世術から、現代社会を生き抜くヒントを探ります。

裕福な家庭から没落、そして波乱万丈の人生へ

辻潤の肖像画辻潤の肖像画

明治17年(1884年)、裕福な家庭に生まれた辻潤。しかし、実家の没落により苦学を強いられ、女学校の英語教師となります。一見すると順風満帆な人生のスタートを切ったかに見えましたが、彼の人生は波乱万丈なものとなるのでした。

伊藤野枝との出会い、そして無職生活へ

27歳の時、辻は運命の女性、伊藤野枝と出会います。当時、女学校の生徒だった野枝との恋愛関係は、彼の人生を大きく変えることになります。なんと、辻は職を辞め、無職になってしまうのです。

母と妹との3人暮らし。一家の大黒柱でありながら、働かないという選択。一体、辻は何を考えていたのでしょうか?

働かなくても生き抜く?辻潤の処世術

驚くべきことに、辻は働こうとしませんでした。生活費は?もちろん、全く何もしなかったわけではありません。知人の紹介で翻訳や代訳の仕事を請け負うこともありましたが、家計を支えるには到底足りません。

そこで辻は、自ら出版社に洋書の翻訳を持ち込みます。その中の一つが、チェーザレ・ロンブローゾの『天才論』でした。

天才論の翻訳で注目を集める

イタリアの精神病学者、犯罪心理学の創始者であるロンブローゾ。天才と狂人の類似性を科学的に証明しようと試みた彼の著作は、当時大きな反響を呼びました。「天才と狂人の差は紙一重」という言葉は、ロンブローゾに由来するとも言われています。

『天才論』の翻訳は版を重ねるほどの成功を収め、辻は翻訳家として、そしてエッセイストとして徐々に名を上げていきます。1910年代半ばからの約10年間は、辻の職業人としての全盛期と言えるでしょう。

辻潤と伊藤野枝辻潤と伊藤野枝

仕事の成功と私生活の破綻

しかし、仕事が軌道に乗り始めた矢先、辻の私生活は思わぬ方向へと進んでいきます。大正5年(1916年)4月、妻の野枝がアナキストの大杉栄と恋仲になり、家を出てしまうのです。

辻潤の生き方から学ぶこと

辻潤の生き方は、現代社会の常識とは大きくかけ離れています。しかし、彼の型破りな生き方には、現代社会を生き抜くヒントが隠されているのではないでしょうか?安定した職業に就くことだけが人生の成功ではない。自分の才能を信じ、自由に生きる勇気を持つことの大切さを、辻潤は私たちに教えてくれているのかもしれません。

食と健康の専門家、山田先生(仮名)は、「辻潤の生き方は極端な例ですが、現代社会においても、自分の価値観を大切にし、多様な働き方を選択する人が増えています。重要なのは、自分にとっての幸せとは何かを問い続け、主体的に人生を創造していくことでしょう。」と語っています。