「本当にいいんでしょうか、という気持ち」-。デビュー55年の節目の受章に驚きを隠さない。
12歳で熊本から上京。「十数曲をレコーディングしたけど、デビューできなくて。父が悲しんでいたのがつらかった」
後に自身の代表曲ともなった「三百六十五歩のマーチ」を作詞した星野哲郎氏に師事し、東京五輪が開かれた昭和39年に19歳でデビュー。このときから、着流しの和装姿が定番だった。
だからこそ、イメージを一変させた「三百六十五歩…」は「この曲で(歌手人生も)終わりかな、と思った」と苦笑する。実際は、「今も子供たちが歌ってくれたり、吹奏楽で演奏してくれたり」と世代を超えた名曲となった。平成28年の熊本地震では復興のシンボル曲に。
歌手と同時に大ヒットドラマ「ありがとう」の主演や紅白歌合戦の司会など、全力で走り続けてきた。“小さい民子(本名)”を意味する「チータ」と呼ばれる限り、「元気がいいねと言ってもらえるように、今後も一歩ずつ歩んでいきたい」と語った。(兼松康)