イザベラ・バードが見た明治日本:意外な「お雇い外国人」の苦悩

幕末から明治維新にかけて、近代化を目指す日本は西洋から多くの「お雇い外国人」を招聘しました。彼らは法整備や産業育成など、様々な分野で日本の近代化に貢献したエキスパート集団というイメージがありますよね。しかし、実際にはどうだったのでしょうか?今回は、19世紀後半に日本を訪れたイギリス人旅行作家、イザベラ・バードの視点から、知られざる「お雇い外国人」のリアルな暮らしぶりを紐解いていきます。

イザベラ・バードと明治日本の出会い

1878年、47歳だったイザベラ・バードは、未知なる国、日本へと旅立ちました。当時、西洋諸国にとって日本は謎めいた東洋の国。彼女の著作『イザベラ・バードの日本紀行』には、当時の日本の風景や人々の暮らしが生き生きと描かれています。その中で、バードは「お雇い外国人」の意外な一面に触れているのです。

意外な悩みを抱えるエキスパート集団

バードの記録によると、当時の「お雇い外国人」たちは、実は雇用の不安定さに悩まされていたといいます。日本政府との契約は数年単位で、契約更新されるかどうかは常に不透明。まるで現代の契約社員のような状況だったのです。

イザベラ・バードの肖像画イザベラ・バードの肖像画

バードは、当時の社交界の様子を次のように描写しています。「お雇い外国人」たちの間では、誰が来月、来年契約が切れるのか、誰が減給されるのか、といった噂話が絶えなかったそうです。まるで日本の将来を担うエキスパート集団とは思えない不安定な状況。彼らは生活の基盤を築くことに苦労し、将来への不安を抱えていたのです。

明治政府の思惑

なぜ「お雇い外国人」たちは、このような不安定な立場に置かれていたのでしょうか?実は、そこには明治政府の思惑がありました。彼らは西洋の知識や技術を吸収することに貪欲でしたが、同時に外国人に依存し続けることを望んでいませんでした。できる限り早く日本人を育成し、外国人から自立することを目指していたのです。

明治時代の日本の風景明治時代の日本の風景

例えば、電信局では外国人指導団が解雇され、海軍兵学校や医学校、帝国大学などでも外国人教官の入れ替わりが頻繁に行われていました。これは、日本人の人材育成を急ぐ明治政府の政策の表れでもあったのです。

知られざる明治日本の実態

イザベラ・バードの記録は、近代化を進める明治日本の知られざる一面を私たちに教えてくれます。「お雇い外国人」というエキスパート集団でさえ、雇用の不安定さに悩まされていたという事実は、当時の日本の状況を理解する上で重要な視点と言えるでしょう。 食文化研究家の山田太郎氏(仮名)は、「バードの記録は、公式文書には残らない当時の社会の実態を知る上で貴重な資料だ」と指摘しています。

まとめ:歴史の光と影

イザベラ・バードの記録を通して、私たちは近代化の光と影を垣間見ることができます。華々しい近代化の陰で、不安定な立場に置かれた「お雇い外国人」たちの存在は、歴史の複雑さを改めて私たちに教えてくれるのです。