内田裕也さん。ロックンローラーとして、そして俳優として、強烈な個性を放ち、昭和から平成の芸能界を駆け抜けた伝説的人物。その生き様は、多くの人々に影響を与え、そして、数々の逸話を残しました。今回は、堺正章さんの著書『最高の二番手 僕がずっと大切にしてきたこと』(飛鳥新社)を元に、堺さんが語る内田裕也さんとの思い出、そして葬儀での弔辞に隠された秘話に迫ります。
唯一無二の存在感と、型破りなアドバイス
内田裕也さんは、銅像が立つようなタイプではないけれど、強烈な個性と幅広い人脈で、芸能界に大きな足跡を残した人物だと堺さんは語ります。その破天荒な言動は、時に周囲を驚かせ、しかし、同時に多くの人々を魅了しました。
堺さんは、歌手として長生きする秘訣を尋ねた際に、裕也さんから「絶対にヒット曲を出さないことだ」という、型破りなアドバイスを受けたといいます。そして、裕也さん自身が見事にそれを実践したというエピソードからも、彼の独特なスタンスが伺えます。
内田裕也さんの写真
弔辞に込めた想い、そしてユーモア
裕也さんの葬儀で弔辞を頼まれた堺さん。弔問客の顔ぶれを見て、急遽内容を変更することを決意します。それは、裕也さんを偲びながらも、参列者を笑わせるという、堺さんならではの弔いの形でした。
「お疲れ様でした。あなたは先輩として良き手本であり、悪しき手本でありました」
弔辞の最後に、堺さんはこのように締めくくりました。ユーモアを交えながらも、尊敬と感謝の念が込められた言葉は、裕也さんとの強い絆を物語っています。
ホテルオークラでの突然のダンス
内田裕也さんの破天荒ぶりを象徴するエピソードとして、ホテルオークラの中華レストランでの出来事が挙げられます。静かな店内で突然踊りだそうとした裕也さんに、堺さんは驚きを隠せませんでした。しかし、それもまた、裕也さんの魅力の一つだったのでしょう。
スパイダース解散時の言葉
ザ・スパイダース解散後、バラエティ番組に出演し始めた堺さんに、裕也さんは「裏切り者っ!」と声をかけたそうです。その言葉は、堺さんの心に深く刻まれ、今でも忘れられない思い出となっています。
常に刺激を与えてくれる存在
堺さんにとって、内田裕也さんは、常に刺激を与えてくれる、かけがえのない存在でした。その反骨精神、そして唯一無二の個性が、堺さんの心に大きな影響を与えたことは間違いありません。
内田裕也という人物の魅力、そして堺正章さんとの深い絆を感じさせるエピソードの数々は、私たちに多くのことを考えさせてくれます。時代が変わっても色褪せない、二人の関係性。それは、まさに芸能史に残る貴重な財産と言えるでしょう。